昨日は木久扇師匠と、歌丸師匠のことを書いたが、
もう一人忘れちゃいけない噺家が居る、

それは、
三遊亭小円遊師匠。

「キザ」が売り物の人気落語家で、
メクリが(次に出て来る人の名前が書かれた紙)出ただけで、
寄席には似つかわしくない?黄色い歓声が上がったものだ。

ましてや、
学校で開催する「伝統芸能鑑賞会」で行ったものなら、
中高生が歓声と言うより、悲鳴が上がった。

で、
「今朝はダイヤモンドの混ぜご飯を食べて来まして」、
なんてことを言おうものなら、
「ギャァ~!」という悲鳴のような笑いが起きた。

談志師匠が言ったそうだ、
「落語家の中で、
出て来た時の迎えられ方は小円遊が一番だ」
と。
確かに!
オイラもそう思った。

小円遊師匠がマクラでよく使っていたネタ、

『ある銭湯の女湯の塀に節穴があって、
そこに、
「ここから覗いてはいけません、
何もありませんから」、
と書いてあった。
そう言われると覗きたくなるもの。
周りに誰も居ないのを確認して覗いてみると向こうに、
「ホラね!」、
と書いてあった』、

ドッカァ~ンと受けた、受けた!

よくご自宅に伺った、
よく飲みに誘ってもらった。
中でも、
2人っきりで飲んだことも3回ぐらいあった、
まだオイラが前座、
若いガキを連れて、落語界のスターがである。
その話を他人に言うと、
「スターは孤独なもんなんだよ」
と、言う人有り。

飲むといつもご機嫌で、
優しくて、
懐の大きな人だったなぁ~、、、

そりゃぁ酒を飲むんだから酔う、
酔うけど、オイラには優しかった、
だから誘ってもらうといつも嬉しかった。

、、、ただ、
家にタクシーで帰る時、
いつも途中でタクシーを止めて小用、
酔ってふらついているから、
オイラがいつも後ろから腰を押さえてたっけなぁ~、
で、この小用が長い、長い、、、

どれもこれも小円遊師匠との思い出は宝物、

ただ残念なことに、
オイラが二ツ目になった途端に亡くなってしまった、
いろいろお願いしたい仕事があったのに、
宝物の思い出のページはそこで閉じられた、
42才、早過ぎる、残念!

そんなスターだった小円遊師匠の名前も、
今や60ちょっと前ぐらいの年の人からしか分からなくなった。
時の流れは余りにも早い、
だってそれは、
オイラが今年50周年なんだから、、、