木久扇師匠が、
今日の放送をもって54年間出演した「笑点」を卒業したそうだ。

54年間ずぅっと人気者で、笑いを届けて来たというもの凄さ!
脱帽である。

それは、「飽きられないもの凄さ!」、
飽きられなかったから、
であろう。

「バカ」を演じ、「バカ」になりきるもの凄さ!
発想の新しさ!
よほど頭の良い人なのであろう。

そういうワタシも随分お世話になって来た。
「気遣い」、「気配り」、「思い遣り」、
どれを取ってもピカ一で頭が下がり、勉強になる。

バカを演じきれる人は、
よほど頭が良くなければ出来ないのである。
そのことは、ワタシの父も昔からよく言っていた。

「笑点」と言えば、
ワタシの兄弟子だった桂歌丸師匠も、見事な落語家人生だった。

落語は勿論、歌舞伎も本当に詳しく、
楽屋で、
「アレはどういうことなんですか?」、
なんて話になると、
即、的確な回答をした。
そして、もし分からなかったら、
翌日、
「これこれこういう訳です」、
と説明した。

だから、
落語の所作も間違い無く演じ、いい加減なことは一切しない。
その歌丸師匠が亡くなったことは、
落語界にとって大きな損失である。

仕事も責任感を持って対応してくれた。
一度こういうことがあった。

インドでの海外公演、
そこで病気になり、向こうで入院したそう。
で、帰国し、
その翌日ワタシが頼んでいた仕事で福島へ。

顔は青白くゲッソリ、
表情はというと病人そのもの、
ヨタヨタと杖をついて歩いていた。

ワタシが、
「今日はすみません、
大丈夫ですか?」、
と聞くと、一言、
「幸丸さんの仕事じゃなかったら、
来ませんでしたよ」、
と。
命懸けで来てくれたのである。

ホントに、あんな助かったことはなかった。
そして、
きっちりと噺をして帰って行った。
あんなに有り難いことはなかったなぁ~!

名を残す人というものは、
とにかく偉く、凄いのである。