おはようございます(´・ω・`)
昨日の続きです
百貝ヶ岳野草園🌳
鳥住春日神社の奥にありますが、現在は休園しているようです

野草園右側の道を上がって行きます


滑りやすく、結構急峻な坂道でしたが…



晴れていなかったのが残念
ここを上がれば鳳閣寺があります

鳳閣寺『境内由緒書』『黒滝村公式ホームページ』より
真言宗鳳閣寺派大本山。山号は百螺山。本尊は如意輪観音坐像(黒滝村指定文化財)。宇多天皇勅願寺。
寺伝によれば、白鳳6年(678年)に役行者によって開かれたと伝わり、弘法大師空海由縁を説き、大峯山中興の祖と云われる理源大師聖宝(832年~909年)による大蛇退治と修験道場の建立を記している。また、寺宝として理源大師所持の法螺貝と退治した大蛇の頭骨が残されている。
理源大師は、役行者を慕って山岳修行をし、京都醍醐寺三宝院や奈良東大寺南西院を建立した真言宗の僧で、時を経た江戸時代の宝永4年(1707年)、時の天皇であった東山天皇より「理源大師」の称号を諡られている。
また、公式サイトによれば、伝承として、昔、金峯山の阿古の瀧に大蛇が棲み、大峯行者に危害を加えた。理源大師は勅命を受けてこの大蛇を退治するため、鳥栖(鳥住)山に向かった。当時、奈良にいた勇武に聞こえ高い先達箱屋勘兵衛を伴い、まず、ホラガ淵で御祓を成し、鳥栖山に登って法螺貝を吹き鳴らした。その音は百の法螺貝を吹き鳴らすように山々に響いたので鳥栖山を百螺山と呼ぶようになったと云われる。阿古瀧の大蛇はその響きに誘われてこの山に向かって来たので、大師は法力をもって呪縛し、勘兵衛は大鉞を奮って大蛇を斬りつけた。それ以降、大峯への行者道は再び開けた。その縁で勘兵衛は奈良から度々大師がいる鳥栖に足を運び、その度に大師の好物である餅飯を持参したため、大師は勘兵衛の事を「餅飯殿」と愛称を込めて呼んだ。それから、勘兵衛が住んでいる奈良の町を「餅飯殿町」(現・奈良市餅飯殿町)と名付けられたと云われる。
元禄13年(1700年)、三宝院直末となり、全国の当山派山伏を支配する「諸国総袈裟頭」の寺として、明治5年(1872年)の修験道廃止令まで大いに栄えた。昭和26年(1951年)、真言宗鳳閣寺派として独立して現在に至る。
境内にある理源大師御廟塔は国指定重要文化財、所蔵する如意輪観音坐像・木造理源大師倚像・木造日蔵上人倚像は黒滝村指定文化財に指定されています。

由緒書



本堂



護摩場


鐘楼


手水舎

鐘楼の左側にあります



境内社(左側。稲荷神社)・地蔵菩薩(右側)

手水舎の前にあります



境内社⛩️
最初、鳥居があることに気づきませんでした

梁と同化してて(笑)
庫理の左側にあります


庫裡


國寶廟塔(国指定重要文化財)由緒書

庫裡前に置かれていますが、少し消えかけています

公式サイトによれば、廟塔は百貝岳山中にあり、花崗岩造りの極めて精巧な宝塔形の石塔で、正面台座の亀の浮き彫りに正平24年(1369年)の刻銘があり。
今回は時間の関係で、山中に入りませんでしたが、また機会があれば見てみたいと思います


境内

廟塔は山中にあるので、境内は結構広いと思います。参道は車道になっていますが、境内に駐車場はありませんので、鳥住春日神社の駐車場に置いて歩いて行かれるほうが良いかと思います

この後、北のほうへ向かいました
