おはようございます(´・ω・`)
一昨日の続きです
八万堂跡から国道424号を北へ走り、市場交差点を右(東)に曲がると、次の信号の左脇に道標があります⛰️

道標⛰️
右はわかりませんでしたが、「左 和歌山」だけ見れました



八坂神社『境内由緒書』『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より
祭神
(主祭神)素戔鳴尊
(副祀神)弁財天神、毘沙門天神、稲荷大明神、牛滝大神
境内社 毘沙門天真言、稲荷社
旧那賀郡田中荘段村に鎮座し、江戸時代後期は社号ではなく、「妙法壇」と記され、『紀伊続風土記』に「村の東の端にあり、大巖壁立して高一丈餘上平地にして東西十間、南北七間許四方皆平野にて中央に大巖突出す。亦奇なり、昔空海此處にて法華經を讀誦し、遂に其經を此地に埋み石を建てこれを表し妙法石と呼ふ。壇上牛頭天王の祠あり相傳ふ。正徳二年大水の時、小祠流れ來て此村に留まる土人取りて村中宮屋敷といふ處安にす。享保三年壇上に移すといふ」と記されている。
由緒書や公式サイトによれば、創建は大同2年(807年)3月、伝教大師最澄の勧請により、京の八坂神社から祭神の分霊を戴いて段の妙法壇上に神殿を造営し、これを氏神として奉仕することになったと云われる。時を経て、明治28年(1895年)、正遷宮を執り行い、明治42年(1909年)の一村一社の神社合祀令に反対し、和歌山県に対して抗議文を提出。また、氏子中に県下屈指の資産家堀内仙衛門の庇護を受けて命令を撤回させ、特別に許可を得て存続の危機を脱した。昭和57年(1982年)、老朽化により、本殿を改築して現在に至る。
地域に伝承されている妙法壇流祇園太鼓は和歌山県指定無形民俗文化財に指定されています。


鳥居⛩️

手水舎・境内社⛩️

妙法壇流祇園太鼓之碑⛩️

由緒書⛩️

参道⛩️

常夜灯⛩️
毘沙門天社の前に1基のみあります

石灯籠⛩️
左右一対あります



拝殿⛩️

境内社⛩️
本殿の向かって右側にあります


境内社(毘沙門天社)⛩️
由緒書の裏にあります


境内社(稲荷神社)⛩️
毘沙門天社の右隣にあります


御神体⛩️