おはようございます(´・ω・`)
前回の続きです
九品寺から奈良県道30号を南へ走り、右側に「一言さん」の看板がある分岐を左(南)に曲がり、突き当たりを右(西)に曲がって高架を潜ると葛城一言主神社の参道があります⛩️
葛城一言主神社『葛城一言主神社公式サイト』『境内由緒書』より
祭神 一言主大神、幼武尊(雄略天皇)
全国一言主神総本社。由緒書や公式サイトによれば、創建時期は不詳ながら、雄略天皇4年春、葛城山に狩りに出かけた雄略天皇の前に一言主神が現れて微現(神降)された。
『古事記』に「また一時、天皇葛城山に登り幸でます時に、百宮の人ども、悉に紅き紐著けたる青摺の衣を給はりて服たり。その時にその向ひの山の尾より、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿に等しく、またその束装の状、また人衆も、相似て傾かず。ここに天皇望けたまひて、問はしめたまはく、「この倭の国に、吾を除きてまた王は無きを。今誰人かかくて行く」と問はしめたまひしかば、すなはち答へまをせる状も、天皇の命の如くなりき。ここに天皇いたく忿りて、矢刺したまひ、百官の人どもも、悉に矢刺しければ、ここにその人どももみな矢刺しせり。かれ天皇また問ひたまはく、「その名告らさね。ここに各名を告けて、矢弾たむ」とのりたまふ。ここに答へてのりたまはく、「吾まづ問はえたれば、吾まづ名告りせむ。吾は悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城一言主の大神なり」とのりたまひき。天皇ここに惶畏みて白したまはく、「恐し、我が大神、現しおみまさむとは、覚らざりき」と白して、大御刀また弓矢を始めて、百官の人どもの服せる衣服を脱かしてめて、拝み献りき。ここにその一言主の大神、手打ちてその奉物を受けたまひき。かれ天皇の還り幸でます時、その大神、山の末に満みて、長谷の山口に送りまつりき。かれこの一言主の大神は、その時に顕れたまへるなり」と記されている。
延喜式では名神大社に列し、平安時代の文徳天皇をはじめとする歴代天皇の崇敬を受け、南北朝時代の延文5年(1360年)に後光厳天皇から神格正一位が叙された。また、延暦23年(804年)、伝教大師(最澄)も入唐の際、ここを訪れて無事を祈願したと云われる。
鳥居⛩️
百度石⛩️
社務所前にもあります
蜘蛛塚⛩️
鳥居を潜って左側にあります
参道⛩️
生活道路を兼ねていますので、通行には十分注意してください
葛城三十八景⛩️
参道⛩️
参道脇と社務所前にあります
手水鉢⛩️
境内社⛩️
本殿⛩️
万葉集石碑⛩️
境内社(祓戸社)⛩️
万葉集碑の左隣にあります
境内から眼下を望む📷
百度石⛩️
御神木(銀杏)⛩️
境内社(一言稲荷神社)⛩️
本殿の右奥にあります
境内社⛩️
一言稲荷神社に隣接しています
雄略天皇像⛩️
一言稲荷神社の右手前にあります
境内は比較的広く、駐車場は鳥居右側にあります
この後、東のほうへ向かいました