日吉神社(上富田町生馬山王) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)


昨日の続きですニコニコ


まずは上富田町の救馬渓観音へ御礼参り(去年5月に手術の危機があり、11月の再検査で再発の恐れはあるが、今現在は問題なしとの診断を頂きました爆笑





本堂にお参りした後、祖母の認知症が酷くなってきたので、不動堂で認知症封じの願いを絵馬に記して、不動明王呪を唱えてきました照れ


救馬渓観音から町道を南へ走り、国道311号の生馬交差点を真っ直ぐ(南東、県道36号)行き、富田川に架かる橋を渡ってすぐの交差点を右(南、県道220号)に曲がり、山王橋(潜水橋)手前のT字路を右(南)に曲がると正面に日吉神社があります⛩️

日吉神社『和歌山県神社庁公式サイト』『境内由緒書』『紀伊続風土記』より

祭神
(主祭神)大山咋神和魂、素戔鳴命、誉田別神、別雷神、鴨玉依彦神、鴨玉依姫神
(副祀神)市岐島姫命、猿田彦神、大山咋神、鴨玉依姫荒魂、大巳貴神、田心姫命、菊理姫神、金山彦神、稲倉魂命

境内社 弁天社

旧牟婁郡岩田郷生馬村小名山王に鎮座し、江戸時代後期の社号は「山王社」と記され、境内は周200間(約360メートル)。『紀伊続風土記』に「小名山王にあり、一村の産土神なり。永正十四年領主安宅大炊之助俊判三の宮修營の棟札、天文十五年山本治部少輔忠朝二の宮修造の棟札あり」と記されている。

由緒書や公式サイトによれば、嘉祥2年(849年)3月、現在の滋賀県大津市坂本鎮座の日吉神社より当時の宮司栗栖直祐郷が勧請したと云われ、以降、現在に至るまで神職は栗栖家が代々継承し、53代淳麿(平成14年(2002年)現在)まで続いている。

明治元年(1868年)の神仏分離令より、現在の社号に改称し、明治6年(1874年)村社に列した。明治10年(1878年)6月、村内の小社(稲荷神社・祇園神社・愛宕神社)を合祀し、明治43年(1910年)4月にも一村一社の神社合祀から村内の5社(砂田鎮座の虫遂神社、小西鎮座の虫遂神社、鳥渕鎮座の鳥渕神社、大宮鎮座の住吉神社、篠原鎮座の矢倉神社)を合祀。昭和15年(1940年)、皇紀2600年記念事業として神殿の改築が行われ、昭和18年(1943年)11月に完成して現在に至る。

また、この神社より、田辺市磯間鎮座の日吉神社、田辺市中辺路町北郡鎮座の日吉神社、白浜町(旧日置川町)安宅鎮座の日吉神社へ勧請分祀している。

境内にある社叢は上富田町指定天然記念物に指定されています。

鳥居(一ノ鳥居)⛩️

由緒書⛩️


社叢(上富田町指定天然記念物)⛩️

石橋⛩️

社務所⛩️

手水舎⛩️

石灯籠⛩️

左右一対ありますニコニコ

鳥居(二ノ鳥居)・拝殿⛩️

本殿・境内社⛩️


境内社⛩️

社の周りに人工の池が巡らされています照れ

参籠所⛩️

椰⛩️

境内⛩️



境内の礎石跡⛩️

日吉神社から少し戻って県道に面したところに地蔵堂があります月見


地蔵堂月見

神社・地蔵堂ともに境内は狭いです。指定の駐車場はありませんが、神社に隣接する宮司宅前に置けるスペースがあります。困難な場合は迷わず交通の妨げにならない場所に置かれて、歩いて行かれるほうが良いかと思いますニコニコ

この後、さらに南のほうへ向かいましたウインク