昨日の続きです
唐招提寺から奈良県道9号を南へ走り、左側に西ノ京病院がある信号を右(西)に曲がると右側に薬師寺の参道と有料駐車場があります
法相宗大本山。山号は無し。本尊は薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩。国宝、奈良時代の作)。南都七大寺霊場第六番札所。神仏霊場第二十五番札所。西国薬師四十九霊場第一番札所。大和北部八十八所霊場第四十九番札所。
由緒書によれば、創建は680年(天武天皇9年)に第40代天武天皇により発願されたことに始まり、697年(持統天皇11年)に第41代持統天皇により本尊薬師三尊開眼、その後の第42代文武天皇の時に飛鳥の地にて堂塔が建立された。710年(和銅3年)、平城遷都に伴い、現在の地に移された。当時は南都七大寺の1つとして大伽藍を誇っていたが、度重なる災害を受けて徐々に衰退。享禄元年(1528年)の兵火により東塔・東院堂を除いて全山焼失したが諸仏は延焼を免れた。慶長5年(1600年)、本尊の雨露を凌ぐために金堂の仮堂を建立したが再建に至らず。長年風雨に晒されて来たが、昭和42年(1967年)、薬師寺管主であった高田好胤上人により薬師寺白鳳伽藍再建の発願があり、信徒を中心とした写経勧進を行い、金堂・西塔・中門・回廊・大講堂が順次再建。現在は東塔の解体修理を行っており、2020年(令和2年)4月に完成する見込みだと云う。
境内にある東塔・東院堂が国宝、所蔵する薬師三尊・聖観世音菩薩が国宝、絹本著色十二神将像・木造地蔵菩薩立像が奈良県指定文化財、絹本著色釈迦十二善神像(奈良国立博物館に管理委託)・絹本著色二河白道図・旧福寿院障壁画長沢芦雪筆・木造毘沙門天立像が奈良市指定文化財(全て奈良国立博物館に管理委託)に指定されています。
境内案内板
案内板の前に休ヶ岡八幡宮があります⛩️
休ヶ岡八幡宮『境内由緒書』より
祭神 僧形八幡神、神功皇后、仲津姫命
薬師寺鎮守社。造営は寛平年間(889年~897年)に薬師寺別当の栄紹上人が薬師寺の鎮守として祭神である僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命を勧請したことに始まる。その後、度重なる災害を受けて焼失したが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼によって再建され、他に瑞垣門・楼門・中門等も造営したが焼失している。本殿の両脇に脇殿があり、南北の建築物は座小屋と呼ばれて寺僧の加行場として使われたが、本来は宮座の座衆が控えるところで現存している。明治時代の神仏分離令以降も一寺院が管理していた例は少ないとされる。現在、拝殿・本殿を含めた主要な社殿(国指定重要文化財)が改修工事中のため、境内に仮本殿が設けられている。