西大寺①(東門~東塔跡。奈良県奈良市西大寺芝町) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

こんにちは(´・ω・`)

5月24日に再び奈良へ行ってきましたニコニコ

本山クラスの寺が多いので、なかなか進みませんが、見応えは十分ですウインク

和歌山から道順を辿ると長くなるので、最寄りの場所から辿っていきますてへぺろ

では、参ります照れ

東大寺転害門から奈良県道104号を西へ走り、法華寺交差点を右(北)に曲がり、次の法華寺北交差点を左(西)に曲がります。近鉄大和西大寺駅前を通ってすぐのT字路を左(南)に曲がると右側に西大寺があります月見

西大寺『境内由緒書』『西大寺公式サイト』より

真言律宗総本山。山号は勝宝山。本尊は釈迦如来(国指定重要文化財、建長元年(1249年)の作)。真言宗十八本山霊場第十五番所。南都七大寺第五番札所。大和十三佛霊場第二番札所。西国愛染十七霊場第十三番札所。神仏霊場第二十三番札所。大和北部八十八所霊場第二十四番札所。

由緒書によれば、創建は天平宝字8年(764年)に称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため、7尺の金銅四天王像の造立を発願したことに始まる。翌年から堂塔の建立が始まり、宝亀年間末期(780年)頃まで続き、薬師・弥勒の両金堂、東西両塔、四王院堂等、100以上もの堂舎が並び、東の東大寺に対する西の大寺に相応しい官大寺となる。平安時代に至り、再三の災害に遭って衰退するも、鎌倉時代中期、興正上人が再建に尽力し、新たな教義(戒律を最も尊重)による真言律宗の根本道場として伽藍を整備したと云われる。室町時代の兵火により、多くの堂塔を失うも法燈は連綿として維持されて現在に至る。

境内にある本堂が国指定重要文化財、境内が国指定史跡、所蔵する興正菩薩叡尊坐像・十二天画像・鉄宝塔・壇塔・五瓶舎利容器及舎利塔が国宝、釈迦如来立像・文殊菩薩騎獅像及四侍者像・吉祥天立像・行基菩薩坐像・愛染明王坐像・四天王立像及邪鬼・十一面観音立像・西大寺三宝料田畠目録・西大寺寺領絵図・西大寺版板木・文殊菩薩画像等多数が国指定重要文化財に指定されています。

東門月見

門前の道、交通量が多くて、正面から撮れず笑い泣き

境内案内板月見

四王金堂月見

本尊は十一面観世音菩薩(国指定重要文化財)。由緒書によれば、創建当時の由緒を伝える唯一の堂だが、再三焼失し、現在の建築物は延宝2年(1674年)に再建にされた。

中を見るには拝観料を払う必要がありますニコニコ

東門を過ぎて右側にありますウインク

※内部は撮影禁止🈲です。

清浄院(西大寺塔頭寺院、内部非公開)月見

東門左側にありますニコニコ

華蔵院(西大寺塔頭寺院、内部非公開)月見

四天金堂を過ぎて左側にありますニコニコ

聚宝館(期間限定公開)月見

由緒書によれば、昭和36年(1961年)に完成した建築物で、数多くの文化財を収蔵しているそうですニコニコ

四天金堂を過ぎて右側にありますウインク

増長院(西大寺塔頭寺院、内部非公開)月見

華蔵院の隣にありますニコニコ

護摩堂月見

本尊は不動明王。由緒書は消えかけており、読めずガーン

聚宝館の隣にありますニコニコ

手水舎月見

本堂(国指定重要文化財)月見

由緒書によれば、別名「光明真言堂」。現在の本堂は宝暦2年(1752年)の建立で、毎年秋に光明真言土砂加持祈祷が行われている。

中を見るには拝観料を払う必要がありますニコニコ

※内部は撮影禁止🈲です。

御朱印(神仏霊場)月見

御朱印(大和十三佛霊場)月見

本堂内で頂くことが出来ます照れ


東塔跡(柵内立入禁止🈲)月見

由緒書によれば、天平神護元年(765年)に東西の五重塔として建立。平安時代、東西両塔が焼失、東塔は平安時代後期に再建されたが、室町時代の文亀2年(1502年)の兵火により焼失して現在は礎石のみが残る。

本堂の前にありますニコニコ

②に続きますウインク