長子八幡神社(日高川町小釜本) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)

今日早出出勤なので、予約記事でガーン

昨日の続きです(*'∀`*)v

山向寺から日高川を渡って対岸の県道25号を東へ走り(北岸の道路は拡張工事が行われているため、通行できるかわかりません)、川中郵便局が右側に見える四つ角を左(西)に曲がって日高川を渡り、2つ目の四つ角の先の細い道(車両進入禁止)を行くと長子(ちょうし)八幡神社があります初詣2


長子八幡神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より

祭神
(主祭神)誉田別命
(配祀神)菅原道真、根生神、朝日神御霊神、丹生津姫神、国常立神、福森神、塞神、須佐男命、天津児屋根神、大将軍神、猿田彦神、市杵島姫神、白髭大神

合祀社    神功皇后神、住吉神

旧日高郡川上荘小釜本村の西8町にある小名長子に鎮座し、9箇村(小釜本・田尻・三佐・老星・大又・佐井・板野川・高津尾・西原)の産土神。江戸時代後期の社号は「正八幡宮」と記され、境内は東西4町(約436メートル)・南北7町(約763メートル)。『紀伊続風土記』によれば、神宮寺の般若寺(高野山真言宗、山号は醫王山)が建立されていたが現存せず。鳥居脇に石仏と御堂があり、わずかにその名残が窺える。

創建時期は不詳だが、地名を取って「長子八幡」とも云う。『龍田家旧記』によれば、和佐村(現・日高川町和佐、JRきのくに線和佐駅がある)より上越方(現・日高川町上越方、北側に下阿田木神社(明日更新)がある)まで全て氏子で、天正年間(1573年~1592年)までは日高川流域で第一の大社で、源平合戦の折、武蔵坊弁慶が勝利を祈る願書を自ら書写した般若心経を記して当社に捧げたと云われる。また、室町時代末期まで小釜本・老星両村の社領があり、両村は御湯を捧げる地であったとの伝えを記す。しかし、『紀伊続風土記』によれば、兵乱に遭って焼失し、神社に伝わる古文書・旧記・棟札・神宝・縁起等を悉く失ったと記されている。

明治10年(1877年)、西原(高津尾の西側)の天神社を合祀し、また明治41年(1908年)~43年(1910年)にかけて近隣の諸社を合祀して、現在に至る。


参道(鳥居前)初詣2

廃墟が2軒程ありますが、道は県道と繋がっていません(*'∀`*)v


鳥居初詣2


青面金剛童子初詣2


御堂初詣2

神宮寺の名残でしょうか好

鳥居左側に建立されています(*'∀`*)v

赤ちゃんのよだれ掛けが奉納されていましたキャッ☆


参道(鳥居~長屋)初詣2




長屋初詣2


社務所初詣2


百度石初詣2

割れているのか、紐で固定されていましたガーン


手水舎初詣2


拝殿初詣2


本殿初詣2

格子の隙間から撮りました(´-┃


神輿庫初詣2


境内初詣2

境内は結構広いですが、駐車場はありませんので(境内車両進入禁止)、交通の妨げにならない場所に置かれて歩いて行かれるほうが良いかと思います好

この後、さらに上流へと向かいました(*'∀`*)v