鳳生寺(御坊市湯川町富安) | ゆきまるのブログ

ゆきまるのブログ

風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)

昨日の続きです(*'∀`*)v

御崎神社から県道188号を東に走り、日高川を越えて御坊市に入ります。さらに、県道を道なりに行き、県道185号に面した交差点を左(北)に曲がってJRきのくに線(紀勢本線)御坊駅前を右(東)に曲がり、右側に中学校がある交差点を左(北)に曲がって踏切を渡ります。踏切から少し行くと左側に音楽教室があるT字路を左(西)に曲がり、すぐの四つ角を右(北)に曲がって1つ目のT字路を左(西)に(道幅狭いです)曲がると一番奥に鳳生寺があります初詣2


鳳生寺『境内由緒書』『紀伊続風土記』より

臨済宗妙心寺派の寺院。山号は瑞雲山。有田日高西国霊場第三番札所。本尊は釈迦如来。

『鳳生寺略史』によれば、旧日高郡富安荘下富安村の会下の谷(『紀伊続風土記』には小谷)にあり、奈良時代、行基上人が熊野参詣の際、この地を瑞雲[雲愛][雲逮](あいたい)すると見抜いて諸仏の霊跡なりと草庵を建立し、自ら釈迦牟尼仏を彫って本尊とし、瑞雲山鳳生寺と号した。また、平安時代中期に源信上人(恵心僧都)が鳳生寺に住し、丹精に凝らして十一面観世音菩薩を造って観音堂を建立したと伝わる(この記述は『紀伊続風土記』には無い)。

時が経て、室町時代の宝徳元年(1488年)、湯川光英(『日高郡誌』では光清の子。『湯河文書』の系図には記載が無い)が観世音菩薩の霊告により、鳳生寺を再建。七堂伽藍を建立し、曹洞宗の箕外上人を開山に迎え、代々湯川氏の菩提寺として、人々から「南紀第一の禅刹」と言われた。しかし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州征伐で一部の堂宇を残して全山焼失。関ヶ原の戦い後の慶長年間(1600年~1615年)に和歌山藩主となった浅野氏により再建され、田畑を寄附(『紀伊続風土記』には旧日高郡岩内荘熊野村(現・御坊市熊野)とある)。また、田中淡路守は資財を寄進したと云う。

現在の本堂と庫裡は平成に入ってから建立されたものである。


山門初詣2


菩提所碑初詣2


由緒書初詣2


庫裡初詣2


本堂初詣2




湯川家歴代之供養塔初詣2


北向地蔵尊初詣2




子安地蔵尊初詣2


境内初詣2

境内は広大ですが、主な建築物は一番奥に集中しており、余計広く感じます。駐車場も山門左右にあり(右側に花壇、左側に畑があるので注意が必要です)、軽く10台程置けるかと思います好

この後、さらに東へ向かいました(*'∀`*)v