小中王子神社(日高町小中) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)

昨日の続きです(*'∀`*)v

国道42号を南下して日高町に入り、内原駅前交差点を右(西)に曲がり、道なりに行きます。右側に見えるガソリンスタンドを過ぎて2つ目の四つ角を右(北)に曲がり、次のT字路を右(東)に曲がる(かなり狭いです)と左側に小中(おなか)王子神社があります初詣2


小中王子神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』『境内説明板(小中古墳)』より

祭神
(主祭神)国常立神、伊弉諾命、伊弉冊命、天照大神、瓊瓊杵命
(配祀神)素盞鳴命、大鷦鷯命、倉稲魂命、豊玉彦命、豊太姫命、大己貴命、金山彦命、天児屋命、市杵島姫命、迦具土神

合祀社    午頭神、若宮神、稲荷神、竜王神、里神、金刀比羅神、春日神、弁財天神、秋葉神

旧日高郡志賀荘小中村の東出に鎮座し、小中村の氏神。江戸時代後期の社号は「若一王子権現社」と記され、境内は周154間(約277メートル)。『紀伊続風土記』によれば、神宮寺の記載は無し。

社伝では、12代景行天皇の時代に勧請され、近江国から随従して来た白井家が62代に渡って神職を勤めた(江戸時代後期の神主は白井織衛)。文禄4年(1594年)、火災に遭って旧記録を焼失したが、古くは境内に古墳があり、『紀伊国名所図会』『続日高郡誌』によれば、「若一王子権現社 小中村にあり、天保十三年冬池堤を築く時、社地の土を運ぶ者、おもはず古墳にほりあたりしに(下略)」とある。『説明板』によれば、宝永(1701年~1710年)・天保年間(1830年~1844年)に多数の副葬品が発見されたと云う。

また、熊野古道とも縁があり、鹿ヶ瀬峠を抜け、沓掛馬留内ノ畑高家の各王子を結ぶ道は陸路であるのに対し、小中・志賀(明日更新)・比井若一の各王子は海路に関係を持つ(町外吉原王子も含む)。『日高鑑』によれば、「小中村 家数九拾三軒 宮二社 内壱社若一王子」「下志賀村 家数九拾六軒 宮貳社 内壱社王子権現」「比井浦 家数八拾八軒 宮壱社但若王子」とあり、その背景には比井港の繁栄と交通の要衝としての重要性が考えられ(村上家本『洪浪記』)、海路は部分的にでも発達していたと思われる(『紀伊国名所図会』後編巻三 六切尾湊宇多上皇延喜七年御出帆想像図)。


鳥居(一ノ鳥居)初詣2


小中古墳(日高町指定文化財)の説明板初詣2




社務所初詣2


手水舎初詣2


鳥居(二ノ鳥居)初詣2




拝殿初詣2




本殿初詣2


神輿庫初詣2




合祀社初詣2


境内初詣2

境内は狭く、駐車場もありませんので、交通の妨げにならない場所に置かれて歩いて行かれるほうがよろしいかと思います好

熊野古道の陸路は世界遺産になった影響でかなりの知名度がありますが、海路はあまり知られていません(公式サイトを見るまで自分も知りませんでした。ただ、ストリートビューを見て若一比井王子神社の社前に熊野古道と似た説明板があるなと思っていましたが、今回の散策で行くことが出来ませんでした。無念ガーン

この後、西のほうへ向かいました(*'∀`*)v