浄国寺(海南市黒江) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございますキャッ☆

昨日の続きです(*'∀`*)v

早いですね。もう終わりとは…354354

予約記事もこれで止まるかと(笑)

和歌山市の毛見トンネルを越えるとすぐに海南市に入り、温山荘前交差点を左に曲がって真っ直ぐ行くと黒江地区に入ります🚙💨

黒江の老舗名手酒造(慶応2年(1866年)創建)のところを左に曲がって少し行くと寺の駐車場(3台分)があります好

駐車場手前の路地を入ると寺の裏手(墓地)に繋がる階段があります(*'∀`*)v

山門へは駐車場を過ぎてすぐのところを左に曲がって真っ直ぐ行って坂道を登ると着きます初詣2


浄国寺『和歌山県の歴史散歩』『わかやま観光情報』より

浄土真宗本願寺派の寺院。山号は天王山。別名黒江御坊。本尊は阿弥陀如来。

享禄5年(1532年)に開かれた浄土真宗の道場で、冷水浦の了賢寺(冷水御坊、海南市下津町冷水)より二尊像(本願寺8世蓮如から下付されたもので、表には親鸞と蓮如の御影が描かれ、裏には文明8年(1476年)に蓮如が了賢に下付したことを記している)を移し、弥勒寺(廃寺、和歌山市秋葉町)に移すまで紀州における中心的な寺院となった。

太鼓堂は時を知らせる太鼓を叩いた建物で、太鼓は現在も保管されています。方丈は一丈四方の建物で往時の居間を指します。天竺の維摩居士の居室が方一丈だったとの故事によるもので、室町中期からは儀礼的建物になりました。本堂は昭和9年(1934年)に再建された。境内には県下の庭園中で最も古いとされている枯山水庭園(室町時代の造園)がありますが、非公開になっています。

境内には重根屋伊七の墓があります。享和3年(1808年)の大飢饉で住民が困窮した時、藩主に直訴して黒江の人々を救ったのですが、その場で捕らえられて獄死したと伝わる。それ以来人々は、製品100個について2個を余分に作る「2ぜんば」を行い、そのお金で弔っていました。


山門ひらめき電球


手水舎ひらめき電球




本堂ひらめき電球


庫裡ひらめき電球


鐘楼ひらめき電球


太鼓堂ひらめき電球




石碑ひらめき電球


参道ひらめき電球

随分前からどうしても行きたかった寺院ですが、ようやく行くことが出来ましたキャッ☆

近くの中言神社に行くのを忘れたのでまた近いうちに…(´-┃

歴史とか史跡って本当に良いですね好

のめり込んでしまいます🙇

好きな者じゃなきゃわからん世界ですが…(笑)

さて…

ネタは完全に尽きましたので、しばらくは仕事に没頭したいと思います泣き1