今日、大阪の母から電話がありました。
宮城県多賀城市と塩竈市にいる親戚の無事が分ったとの連絡でした。
本当に良かった。
その親戚は冠婚葬祭で会うか会わないかの付き合いでしたが、
震災以降、その安否は心配で色々と調べ
連絡を得ようとしていました。
私からは、さらに遠い親戚の家に身を寄せているとのこと。
また、親戚の一人は松島のホテルに嫁いでいるのですが、
津波の被害も大きくはないとのことでした。
相手がかなりの高齢ということもありますが、
大震災一か月後にやっと安否が分るという状況に、
今回の震災の被害の大きさが感じられました。
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被災地にいる友人のブログには
大震災一か月の思いが書かれていました。
大震災だけではなく、原発問題も、
直下で感じている友人です。
怒りや不安、相手を思いやる気持ち、
元気を奮い立させる思いなどなど、
様々な感情が滲み出ていました。
数日前の彼女からのメールには
自分は大丈夫だということ、
逆に東京の節電についての心配についてなどが伝えられていました。
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東京で、今日、仲間と食事。
やっぱり話すことは震災、原発の話。
本当の意味で、現地の人の気持ちにはなれないけれど、
それを考えたり感じようとすることはできないか・・・・・
他人事として思えないということは、そういうことなのではないか。
そんなことを思いました。
今日は、そんな日した。