悠城レニです☆
2020年11月、香川県で修学旅行中の小学生ら62人を乗せた船が沈没した。
地元の漁船四隻が全員救助を果たし国連機関から表彰された。
児童は救命胴衣を着け、夕暮れ時の冷たい海へ飛び込み、救助を待った。
それでも我先に助かりたいと望む子供はなく、同級生らの名をあげて「友達を先に」と頼んだという。
「所属感とは何か」を考えていたときにこの出来事を思い出しました。
子供たちに重要で大切なことを教わっている。
それだけはわかりました。
東京セミナー
心が開けない
2021年に本を出版した後にセミナーを開催したときです。
「先生のセミナーに来る方は、自分も含めてだけど『もっと出たいけど、もうちょっと出られない』という感じの方が多いですね」
と参加者からいわれました。
ふーん、そうなのか!って思ったのですが、よく考えると「それって私のこと?」と思いました(笑)
一生懸命やって、形になったものもあるけど、なんかもうちょっと出られない。
このガラスの天井みたいなものは何だろう?
そうモヤモヤしていたのですが、最近になってこの正体がわかってきました。
出られないというのは「心を開けない」ということ。
その原因は「失われた所属感」にあるのではないかとハッとしました。
子ども時代に家庭において「私たち」という感覚を育てられなかった。
親に対して「私たち」という所属感ではなく、むしろ「親とは違う!」と思っていた。
だから、もしかしたらですが、セミナー参加者の中には、親を「私たち」と思えなかった人がいたかもしれない。
例えば、親の敵意(脅迫的言動・不安定な態度・支配的要求)から身を守る必要があったら、「私たち」とは思えないですよね。
家庭内のよそ者
子どもの頃に「家庭内のよそ者」になったら、心は外に向かって容易には開きません。
それが、もうちょっと出られない、心を開けない感覚につながりそうです。
ジュンパ・ラヒリの著作
私はジュンパ・ラヒリの作品が好きなのですが、その理由が今この文章を書いててわかりました。
彼女は「所属感」について書く作家なんです。
好きな作品は「見知らぬ場所」と停電の夜にの中に収められている「三度目で最後の大陸」です。
前者は一つの所属であった家族が、年月を経てバラバラになっていく様子が丁寧に描かれています。
後者はバラバラだった個々人が、結婚や出産によって所属感を育む課程がこれまた丁寧に描かれているんです。
所属感が育めないとどうなるか。
一人になります。
砂粒のように周囲も一人に見えます。
部活とかサークルとかに所属しても、安心感みたいなものはなく、所属以外の人と何ら変らない一人として接します。
だから、所属はしていても所属していないような「よそ者感」があるんですね。
でも、それは仕方のないことでした。
所属感が育めない家庭では、誰も助けてくれないどころか、被害を受けるので、所属感を失くしていかなければならなかったからです。
所属感は自分で育める
所属感は育もうと思えば今すぐスタートできます^^
①最良の方法は、親の生き方を認めることです。
私の場合は、いろいろあったけど「生きてる」ってことだよって思えました。
私の人生もYES、あなたの人生もYES。
そう思えたら感謝が生まれ所属感も生まれてきました。
「親とは違う!」という見下しが心を開けない元凶だったんです。
ただ、そう思えたのは親に服従しなかったからです。
自分の心を大事にできた暁にやってくるご褒美かなと思います。
②所属する場を自分でつくる
家庭、コミュニティなど。
居心地いい場所がなかったから自分で創ったという方はかなりいます。
③居場所ではなく出場所をつくる
新聞で読んだ言葉ですが「出場所」っていい言葉だなと思います。
自分が「出て行く場所」をもつってことですね。
習い事、高め合えるコミュニティ。
カルチャーセンターは良い出場所として利用されてますね。
所属感なんて必要?という疑問はわいてきますが、所属感のなさは不信が生み出したもので、劣等感の産みの親。
私自身、ついつい砂粒になってしまうけれど、少しずつ育んでいきたいと思っています。
冒頭の沈没事故の記事。
同級生らの名をあげて「友達を先に」と頼んだ子どもたち。
そこに私は、「私たち」という感覚を感じて心を動かされました。
所属感を失うことでしか身を守れなかった自分が「私たち」という感覚に感動できる。
どんな方法であっても、その感覚を取り戻していくことは、愛を知るための成長のプロセスになると思います。