Always say "YES" to Life 

はじめまして。

数秘術家・著者/悠城レニです。

ブログ読者の皆様へ(自分の振り返りも含めて)ここに数秘術家になるまでの来歴を綴らせていただきます。

 

私の本を読んだり数秘メニューを受けられる際の参考になさってください。

 

苦しい時期に居場所を与えてくれた「北海道、フィリピン、インドネシア」を中心に書いています。よろしくお願いいたします☆

 

 

 

自分らしく生きていた子ども時代

 

1970年横須賀生まれ。子どもの頃はマンガ家に憧れてマンガを描く日々を送っていました。祖父が米軍基地勤めで、土地柄アメリカ人との接触が多く、海外への憧れも強かったです。生物全般が好きで、おたまじゃくしや山椒魚を採集したりと、自然体験が多い子どもでした。幼稚園~小学校まで週1回図書館に通い3冊本を借りるのが習慣に(絵本ばかり)。年間100冊以上読んでいたので文章に関わる今の人生の伏線だったなと感じています。

 

息苦しい家庭から脱出して北海道へ

 

中学生になると親の意向が強まり、勉強のためにマンガを禁止されたり、芸術では食えないといわれて美大受験をあきらめたりと、自分らしさを失っていきました。

いつの間にか親の許可をもらって生きるようになり、不機嫌でつまらない毎日を送るようになります。ただ、生きる糧であった絵を奪われたことで本に没頭するようになりました。太宰治、井上靖、フランソワーズ・サガンなど。自分にとって不本意なこの出来事も、文章に関わる今の自分の伏線になっていると思います。

 

この精神的窮状を救ってくれたのが大学です。私が通っていた大学には「北海道校舎」なるものが存在していました(今は廃止)。1~2年次を北海道で3~4年次を世田谷校舎で学べるというシステムです。ここで初めて否定ばかりの息苦しい家庭から脱出し、自由を謳歌できるようになったのです!

 

一人になることで得た生きる力の回復と心地よさの体験。

北海道は夢のように楽しく、横須賀から車をもっていって、2年間で北海道を2周くらいしています。北海道は居場所のなかった私を受け入れてくれた最初の新天地でした。

 

自分を見失った漂流時代

 

学生生活は普通に過ぎていったのですが勉強には身が入りませんでした。美大を諦めて選んだのは当時バブル期で花形だった経済学部。ただ、残念ながら私には向いていなかった。むしろ必修科目だった禅(曹洞宗)の方が記憶に残っています。

この興味のない学部に入るという間違いが、後々自分を見失うことにつながりました。就活期に入ると「自分の人生を生きていない」という問題が目に見える形で突き付けられ、就活そのものから撤退、人生が凍結します。

卒業後、4年間無職で漂流し、やっと「親の望む生き方をしてきた」ことに気づきました。この苦しみ、この迷いの原因は、自分を大事にしてこなかったからだとはっきりと自覚できたのです。

「自分らしく生きなければ生きたことにならない!」

この気づきが新たな道を切り拓く原動力になりました。ただ、この無職でさまよった4年間はムダにはならず、この時期に月20冊ずつ本を読んだことがその後の長い人生の基盤になりました。(やっぱり私は本なんだなー☆)

 

自分らしさを再生させたフィリピン体験

 

自分らしい生き方を求めた私は、当時海外27か国に展開していたNGOの専属スタッフになり農業を志しました。27歳にしてはじめての仕事です。海外への憧れは強くあり、いつかは自分も海外で活躍したいと考えていました。担当は海外農業研修生指導員で生活全般のサポートと日本語教育。フィリピン・インドネシア・マレーシア・ミャンマー・ネパール・タイ・スリランカ・パプアニューギニア・フィジーの海外研修生たちと寝食を共にし、多様な価値観に触れることができたのはすばらしい体験でした。

 

9か国4つの宗教の人々が混在して生活するのだから刺激的です。親や学校から強制された価値観はあっという間に崩れ、絶対的な価値観は存在しないのだ!人間はもっと自由に生きていいんだ!と晴れやかな気持ちで思ったことを覚えています。

他人の意志に振り回された前半生を完全に振り払いたいという気持ちが募ったとき、フィリピンのルソン島での30日間植林ボランティアツアーの引率の仕事がまわってきました。大学生を中心とした15名の参加者とともに山岳地に4ha約4500本の苗木を植林。これが本当に過酷だったのですが、この体験を通じて、生きる意味や自分らしさと深く向き合うことができました。

 

この場所は旧日本軍が逃げ込んで玉砕した最果ての地で、慰霊碑があり、現地の方々がきれいにしてくださっていました。仲間と一緒に慰霊碑の前に佇んだときに不思議な体験をしました。「日本を豊かにしたい、子どもたちに豊かさを与えたい」という声が頭蓋の中にドカーンと響いてきたのです。

 

私が農業を選んだのはバブルという時代を経験したからでした。150万ほどで買ったゴルフ会員権が2000万円になったりと、サラリーマン家庭であっても、その異様な空気に呑み込まれ、世の大人たちがおかしくなっていくのがわかりました。資本主義っぽくないところに行きたい・・・そうだ!農業をやろう!こんな感じだったのです。

だからお金お金の大人たちを心底軽蔑し、ボランティアで生きていくんだと思ったものです。

 

でも、慰霊碑の前で聞いた不思議な声は、子孫を豊かにしたいという振り絞る想いのようなものでした。そうだ。そんな想いで豊かさを求めて日本人は生きてきたんだ。それを恨むのは間違っている。豊かさを与えてくれたことに感謝し、その過程で失ったものは私たちの世代が取り戻すべきなんだ。そう考えるようになりました。

 

自然や生き物、農業や植林に接した自分が取り戻したかったものはアニミズム。

自然崇拝です。自然の力こそ生きる力。目に見えない力こそ生きる力。

その意味では数秘術はうまくつながったと思っています。

 

精神の自由を取り戻したインドネシア時代

 

私はその後、自分らしく生きるための新しい挑戦としてインドネシアへの移住を決断します。2001年スハルト退陣の混乱の残滓があるインドネシアの首都ジャカルタへ渡航しました。大暴動のとき、ここを戦車が通ったよ。今でも怖くてパスポートと航空券はいつもカバンの中にあるんだ。そんな邦人たちの話をききながら海外で働いて暮らすという新しいチャレンジがはじまりました。

 

暴動こそ起こらないけれど、私の通勤路で、ホテルロビーで、バリ島で爆破テロがありました。危険を背負っているためかジャカルタの日本人社会は結束が強く、多くの日本人に助けられ、今でも感謝の気持ちをもっています。日本の実家を引き払ってしまった日本人や、一度も日本に住んだことのない日本人と出会って、日本人といってもいろいろだと改めて「価値観は多様!」という想いを強くしました。

ジャカルタから一人で直通バスに乗り、ジャワ島を横断してバリ島まで行ったのもいい思い出です。生きている実感を得るために何でもやってみた、というところです。

 

数秘術との邂逅

 

インドネシアへの渡航の準備をしていた2001年。人生を変える本に出会います。アメリカの数秘術家 キャロル・アドリエンヌ著「人生の意味」です。10~20代を通して常に空虚感を抱えていた私は、この本を読んで空虚感の「本当の意味」を知ります。

この本自体は数秘術の本ではなかったのですが、私が長い間抱えてきた空虚感を論理的に解き明かし、自分の人生の謎に一定の答えを与えてくれるものでした。そして徐々に数秘術に魅せられるようになったのです。数秘術が求めるものも「在るがままの生き方」、そして何よりも数秘術は「成長の物語」。私は死ぬその瞬間まで進化し続けることが人類の究極の目的と考えているので、これがピッタリとはまりました。

 

帰国、封印していた数秘術の開花

 

インドネシアで6年過ごし2007年に帰国しました。帰国して某大学でキャリア支援の仕事に就いたことが次なる転機を呼びます。私の業務はエントリーシートの添削や模擬面接など学生たちのカウンセリング。そこで出会った学生たちには既視感がありました。自分の資質をないがしろにして、損得や親の希望優先で企業を選び、苦境に陥る学生たち。それはまさしく昔の自分だったのです。

 

インドネシアでは最初の1年を日本語教師として過ごしたのですが、ただ教えるだけでは物足りなかった理由もここで発見できました。「人が変わるのを見たい!」困っていた人が笑顔になって輝いていくことが私にとっての充実。自分自身がずっと困った顔で過ごしていたからかもしれません。

 

次なる転機は2011年、結婚と出産を経験し、子どもが1歳半になったときでした。

ブログをはじめ数秘術のセッションにチャレンジしたのです。自分らしさを大事にするプロセスで、周囲に内緒にしていた数秘術を表に出すことになり、それが拡大して今の私があります。

 

やっと一カ所に落ち着ける人生に

 

数秘術のセッション、数秘術講座の開催、本の執筆が現在の私の活動の柱です。

これだけで生きている実感があるので、あちこち転々とするといった生き方を終わらせることができました。数秘術を通じてたくさんの人と出会い深いつながりをもてたのは大きな喜びです。こうやって来歴を書いてみると人生のお宝は「右往左往」してたときですね(笑)。右往左往は人生が創造される真っ只中なので過ぎてみれば一番面白い!(最中は辛いけど)

これ以後、数秘術家として安定した暮らしになるはずだったのですが、「本を書こう」という新たなチャレンジを思いついたことで、またまた右往左往の10年がはじまります。そこはまた追々ブログ記事で書いていきたいと思っています。私の読者は数秘好きの方はもちろん、本好きや本を出版したいという方もいますので、お役に立てるのではないかと思っています。

 

自分自身になりたい人は、どこに行くかわからない。

どこに流れ着くか、自身でも知らない。

ーオスカー・ワイルド「獄中記」よりー