文京区×国際バカロレア機構シンポジウムに参加して | 上田ゆきこのブログ

文京区×国際バカロレア機構シンポジウムに参加して

世界に向けた学びを紡ぐ—文京区×国際バカロレア機構シンポジウム


7月30日、文京シビックホールで開催された「文京区×国際バカロレア機構」のシンポジウムに参加しました。
テーマは、「これからの教育はどうあるべきか―日本の教育のよさを生かして」。
教育・行政関係者を中心に多くの来場者があり、国際バカロレア(IB)教育への関心の高さがうかがえる充実したイベントでした。

 

実は、国際バカロレア(IB)教育の導入は、私が長年提案してきた政策のひとつでもあります。
その意味でも、今回のイベントには特別な思いがありました。



「日本の教育のよさを生かして」という表現への違和感

 

当初は、今回の「日本の教育のよさを生かして」という副題に少し違和感を覚えていました。
というのも、”日本のよさを生かす”とは、時に変化を拒む保守的な態度を正当化する言葉として使われてきたのでは…。
そんな懸念を抱いたからです。

以前、文京区の教育施策推進担当課長に
「国の教育振興基本計画にある“協調的ウェルビーイング”って、もはやwell-beingではないと思います。
Agencyとwell-beingはセットですから。」
と率直にお伝えしたことがあります。


その上で今回、文京区の資料の中で「主体性」が文京区の今後の教育の課題として一番上に挙げられていたことは、とても心強く感じました。

 

 

全人的教育・探究的な教育へ

 

基調講演には、国際バカロレア機構(IBO)の総裁であるOlli-Pekka Heinonen氏が登壇され、「今の時代にこそ必要な教育」というテーマで講演が行われました。
AIの発展をはじめ、変化の激しい時代において、若者たちがどのように世界的な課題と向き合い、乗り越えていくかという問いに対し、非常に示唆に富んだ内容でした。


とりわけ重要に感じたのが、「メタラーニング(学びの学び)」という視点です。
講演では、学びを支える3つの柱として次のように紹介されました。

・Purpose(目的)

・Agency(主体性)

・Identity(自己認識)

これらをバランスよく育てることが重要だと述べられました。

その文脈で、知識(knowledge)・技能(skill)・人格(character)を統合的に育む「全人的教育(ホリスティック教育)」の必要性についても強調されていました。

気候変動、平和等といったグローバルな課題に向き合うには、単なる知識ではなく、深い内省とつながりの力が求められていることを再認識しました。

 

 

文京区でどう活かすか—世界初の挑戦

 

基調講演は”やさしい英語”で行われましたが、話の要点を自分のなかでうまく整理しきれなかった部分もありました。
その後のパネルディスカッションで、ファシリテーターの勝野正章先生(東京大学)が、次のように要約してくださいました。

「学ぶとは、コネクション。
考える力、伝える力、そして人と人、人と世界をつなぐ力。
これが教育の本質。」

さらに、探究的な学びを支える教員の育成など、教育現場で必要な改革の方向性も提示されました。


文京区では、IB認定校以外でのIB的手法を取り入れた教員研修が、この8月から始まります。
これは国際バカロレア機構(IBO)としても初の試みだそうです。

 

 

「察する」文化から「発信する」教育へ
 

パネルディスカッションには、以下の方たちが登壇されました。

 

・Olli-Pekka Heinonen 氏(国際バカロレア機構(IBO)総裁)

・勝野正章 氏(東京大学大学院 教授)※ファシリテーター

・狩野みき 氏(慶応義塾大学、東京藝術大学 講師)
・Sam Bamkin 氏(東京大学グローバル教育センター 講師)
・文京区教育委員会 教育施策推進担当課長

 

特に印象的だったのは、言語文化の違いについての議論です。

狩野みき先生は、日本語が「察する」ことを前提としたハイコンテクスト文化であるのに対し、英語は「明確に伝える」ことを前提としたローコンテクスト文化であると指摘されました。

その上で、

・これからは、日本の“よさ”を、外から発見されるのを待つのではなく、自ら発信すべき

・英語的な思考を、日本語の枠組みの中でも意識的に育むべき

・みんなが対話できる教室環境づくりが必要

というメッセージに、強く共感しました。

言わんとされているのはつまり、私たちは、日本社会の“同調圧力”に無自覚であってはならないということだと思います。
個々人の主体性(Agency)を育てることこそが、これからの教育における本質的な課題だと改めて実感しました。

また、「日本語は“主語がいらない言語”である」という狩野先生のコメントも興味深かったです。
これは、発信の前提としてのidentity(自己認識)の必要性とつながっていると思います。


訳しきれない言葉-purpose、agency…

また、“Purpose”や“Agency”という言葉に込められた、日本語では表現しきれない奥行きや含意についても、見つめなおすきっかけとなりました。
「Purpose=目的」「Agency=主体性」と訳されることが多いですが、それではどうしてもニュアンスが取りこぼされてしまいます。

Purposeは、単なる「目的」ではなく、「なぜ学ぶのか」「どう生きるのか」という生き方の軸そのものです。
Agencyは、意見を持つことにとどまらず、「自分が社会や未来の当事者である」という自己への深い自覚と行動する力を含んでいます。

あえて訳さずにそのまま使い、文脈で伝えていく方が、むしろ子どもたちの心にも響くのかもしれません。

 


探究とは「問いを立てる力」

 

他には、狩野先生の『探究とは問いを立てる力』という言葉も、探究の本質を捉えていたと思います。
まさにIBらしい視点であり、私が関心をもっているてつがく教育(哲学教育)とも重なります。

子どもたちが「自分の問い」に出会い、それに向き合って考える—。
「自分の問い」は、受け身の学びでは生まれません。

自らの経験や感情、疑問から立ち上がってくるものです。
そこに、これからの教育の核があると、確信しました。

 


教育の本質とは—未来に向けて
 

最後に、イベント全体について勝野先生がまとめられた次の言葉が、心に残っています。

「なぜ、いま世界の教育が変わらなければならないのか。
未来が危機的な状況にある中で、
その状況を生み出した“これまでの教育”の中で成功を求められるという矛盾。
そこにどう向き合うのか。」

 

教育とは、ただ成績を上げるためのものではなく、よりよい社会をつくるための力を育むもの。
そしてそれは、私たち大人自身が、自らに「何のために学ぶのか」「どんな社会を目指すのか」を問い直すところから始まるのではないでしょうか。