人気社会派ブロガー、
ちきりんさんの本
『自分の意見で生きていこう
「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ』

おおまかな内容は、
「意見」がなぜ必要なのか
SNS時代の「自分」のつくり方
生きづらさからの脱却
自分なりの意見をもち、
オリジナルの人生を歩んでいく。
そのために
「考えること」の必要性を、
具体的な事例とともに
解説されている本です。
第1章
「意見」とはなにか、なぜ必要なのか
特に「すべての問いには正解があるはず」と誤解していると、「考える」ことに時間をかけず、ひたすら「調べる」ことに没頭してしまいます。でもそれでは、いつまでたっても問題は解決できません。
あらゆる問題は、
- 正解のある問題
- 正解のない問題
のふたつに分かれる。
これに関して、
わかりやすい例が
挙げられていました。
2+2の答えは「4」
でしかない。
それを、「私は4だと思う」
「だと思う」をつけることで、
自分の意見を
言ったつもりになっている、と。
100%正解しかない問題に対して、
「だと思う」をつけて
それっぽく言っているよな…
文章で言語化されて、
いままで無自覚だったことに
ハッとしました。
第2章
「反応」だけではダメな理由
「そう?そうとも言えないと思うけど」
「それって、現実がよくわかってないと思うよ」
「そんな考え方するなんてびっくりです!」
(中略)
ところがこれらの言葉は、なんとなく「かっこよく、知的に」見えるのです。こうした「ちょっとかっこよく見えるけど、なにも考えてなくても発することのできる反応フレーズ」は非常に好まれます。
もしかすると、「反応しているだけの本人」でさえ、自分は意見を発信している、と誤解しているかもしれません。
私は、「反応」と「自分の意見」を
混在していました。
「なにかを言っているようで、言っていない」
というのは、
いかに、それっぽく言っても、
聞いている側からすると
わかってしまうものですよね。
やってしまっているかも
…という自覚があるだけに
耳が痛い。
これからは気をつけようと思いました。
この本で、
心に響いた教訓があります。
たとえば、こんなとき。
「私は、○○だと思います」
「いいえ私は、△△だと思います」
「だから、あなたの○○は間違っている!」
これは
「正解のない問題」の場合、
不毛なやりとりだということ。
あるのは、その人の意見だけ。
意見は人によって違うのは
当り前です。
私は、人に「間違っている」
と言われることを
怖がっていたけれど…
怖がることはなかったのだと
気づきました。
「正しい人生」もなければ、
答え合わせする必要もない。
「私は、こう思う」
大切にしていこうと思います。