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8月25日、都内で「デビュー40周年記念 岡田有希子ファンミーティング」が行われました。
本邦初にして唯一の岡田有希子トリビュート番組・東海ラジオ放送「ドットーレ山口のドキドキラジオ’84」主催のイベント。抽選による当選者72人のうち、残念なことに7人が当日来れなかったそうです…万難を排して参加できたわたしは、本当にラッキーでした。
会場に集まった参加者たちはわたしとほぼ同世代の男性が多く、再会を喜び合っている人たちの姿も。皆さんユッコさんが元気だった頃からの、熱いファンなのでしょうね。
そう思えばずっと若い世代の女子も数人、なんと暑いさなかにスーツ姿の男性も…いろんな人がいましたが、共通点はみんな「ユッコ大好き」。
41年前の8月25日は、名古屋の高校生だったユッコさんが上京した日でした。会場にはその頃に日比谷公園で撮影されたという、まだ芸名が決まる前の「佐藤佳代 宣材写真」と題した数枚が飾られていました。モノクロ画面の初々しい笑顔に見惚れる間もなく、着席を促すアナウンス。シンセサイザー音楽家・松武秀樹さんのゲストトークが始まりました。
シンセとの出逢いは1970年、万博を観に訪れた大阪のレコード屋で偶然耳にした「スイッチト・オン・バッハ」。
1年半後に音楽業界入りし、冨田勲氏に師事。1ドル=360円、大卒初任給5万円だった当時、6000ドルのモーグシンセサイザーを日本で初めて所有した冨田氏は、そんな高価な機材を「好きなだけ使っていい」と言ってくれた。「プラスマイナスさえ解っていれば壊れないから」と。
やがて自らモーグシンセを購入、そして独立。当時よく売れていた百科事典の付録レコード制作に関わった縁で、版元の社長がおカネを出してくれた。
初仕事は南佳孝さんのデビューアルバム「摩天楼のヒロイン」。
その後〝4人目のYMO〟として海外ツアーに参加、日本から運んだシンセとともにステージに上がる。観客に背を向け演奏する姿から〝背中で語る男〟と呼ばれた。ニューヨーク公演の「ビハインド・ザ・マスク」ではデータが熱暴走し、一曲分が5秒の爆音と化してしまう。そんな大事故も、観客には凄い演出とウケた…。
ギターやピアノのような、楽器固有の音を持たないシンセサイザーは正しくは音響合成装置、「完成していない楽器」なのだそうです。そこから多彩な「音色(おんしょく)」を生み出してきた松武さん。ユッコさんの「リトル プリンセス」の間奏で刻まれる〝♪トゥルルルッ⤴︎〟の音色も松武さんの手によるものとのこと。
そうしたシンセの〝キラキラした音〟をユッコさんのコンサートで再現できなかったと、当時舞台監督を務めた宮坂英光さんが残念そうに補足していました。楽曲制作に用いたデジタルシンセのDX-7がステージで使われるようになったのは、彼女より後の世代からだったそうです。
休憩を挟んでドットーレ山口さん、参加者有志のトーク。
山口さんから今年は、故人であるユッコさんの作品が続けて世に出た感慨深い年とのお話。4月には(ジャケットがアレだけど…)「Summer Beach」12インチシングル、8月には(お値段がアレだけど…)7インチシングル・コンプリートボックスが発売され、そして年末にはついについに!ユッコファンがずっと待ち望んでいたコンサート音源商品化が控えています。喜ばしい限りです…。
そんな今年に初めてユッコさんのファンになったと、スーツを着ていた男性が語っていました。彼女の魅力に気づくのに、40年かかってしまったのだと。
そして山口さん入魂の動画を皆で鑑賞。今回のファンミーティングはZoomでのオンライン、名古屋、そして東京と3回開催の全てに参加している猛者も数名いるとのことで、彼らを失望させないように前日も深夜までブラッシュアップを繰り返したとのこと。
山口さんのアコギによる、ユッコソングのBGMが沁みました。
そして参加者全員で「Believe In You」をうたってお開きに。
正面モニターに映し出された歌詞は、ユッコさんの直筆文字でした…。
山口さん、松武さん、宮坂さん、ユッコさんゆかりの貴重な品々を持ち寄ってくださった皆さん、会場設営など関係者の皆さん、そして参加者のみなさん。たいへんお疲れ様でした、楽しいひとときをありがとうございました!
そういえば、ユッコさんのコンサートスタッフが付けていたこの「SCUDERIA ROSSO」。
チームレッド?どんな由来のネーミングなのか、聞き忘れてしまいました。
photo by yukikostarlight