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2023年12月29日から31日。わたしはツレさんのたっての希望で、家族と宮城・気仙沼で過ごした。

 

29日、早朝の東北新幹線で岩手・一ノ関へ。逆U字に大きく迂回する〝鍋弦線〟で知られる大船渡線のディーゼルカーに揺られる。特異な線形は(新年の干支でもある)竜に見立て、「ドラゴンレール」なる愛称が付いている。

気仙沼到着は正午前。BRT(バス高速輸送システム)に乗り換え、陸前階上を目指す。

気仙沼から先の大船渡線と気仙沼線は東日本大震災で壊滅的被害を受け、鉄道の再建を断念したという。

 

かつての線路を通る専用道には踏切がある。初めてBRTに乗って驚いたのは、遮断機の棒が交差する道路でなく、専用道を塞いでいたこと。

鉄道の踏切は電車が通る前に下がるけど、BRTだとバスが通るときだけ上がるのだ。

鉄道時代より一日の本数も駅(停留所)の数も増え、利便性は増した。それでも利用者は減少傾向らしい。

 

階上は「はしかみ」と読む。かなりの難読駅名だと思う。その陸前階上駅から、伝承館まで徒歩二十分。

 

「〝ラジャー〟と〝嫌(や)じゃー〟は、意味が正反対なのじゃー」

ツレさんにアホなコトを喋りつつ歩いていたわたしを、かつて高校の校舎だったその建物は黙らせた。

 

       


photo by yukikostarlight


 

津波の恐ろしさをまざまざと教えてくれる伝承館。宮城県立気仙沼向洋高校はあの日、四階まで水没という甚大な被害を受けた。

一方、生徒と教職員や改修工事で校内にいた関係者など、多くの人たちのなかから犠牲者はひとりも出なかった。さまざまな奇跡が重なった結果という。

 

その日は東北地方最大の有人離島、気仙沼大島で夜を迎えた。

夜空を見上げなくても、視界に飛び込んでくる星たち。

満天の星が放つ光のなかで彼女を偲ぶ。ちいさな願いを叶えることができて、わたしは嬉しかった。


 

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1月1日夕刻に「令和6年能登半島地震」が発生しました。被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。亡くなられた方たちのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

 

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