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ユッコこと岡田有希子さんにとって、それは生涯最後の夏だった。
1985年夏、彼女のスケジュールはコンサートツアー「ファンタジアン」を中心に、ぎっしりと埋まっていた。
7月25日に和歌山・新宮から始まった公演は、和歌山・田辺、名古屋、鹿児島、熊本、宮崎・都城、福岡、金沢、大阪、秋田、岩手・遠野、水戸、東京・新宿、徳島、松山、広島、東京・芝、群馬・伊勢崎、甲府、福岡・小倉、山口・防府、千葉、埼玉・東松山…全国を駆け巡った。
そしてその合間を縫うようにCM撮影、テレビやラジオの収録、イベント出演…。
多忙を極めた彼女はしかし、ステージに立てば笑顔でファンタジアン(夢の国のひと)を演じ続けた。
ユッコさんが18歳の誕生日を迎えた直後の8月25日、新宿厚生年金会館。
公演中の彼女に、足が攣ってしまうトラブルが襲う。
当時、ファンクラブ会報はこのように触れていた。
〝7月25日からはじまった今回のツアー。順調に全国をまわる有希子だったが、8月25日の東京公演で、トツゼン足がつってしまうというハプニング。相当がまんして歌い続けたらしく、ステージのドンチョウ(幕)がおりたとたん、ステージに倒れてしまった。(中略)ドンチョウがおりるまで、必死に笑顔でファンに応えていた有希子に(中略)拍手を送ってあげたいと思う。拍手 !!〟
〝舞台監督の(中略)すっとんできて泣き叫ぶ有希子を(これ、決してオーバーな表現じゃないんだ。このステージを見てたひと、そんなことまったく気づかなかっただろ?いやあ負けずギライの有希子。さすが !!です)楽屋につれていった…〟
YouTubeにある当時の音源からは、終盤に時折歌詞が飛んだり涙声になったり、確かに異状が感じられる。
悔しかっただろうな…。
アンコール曲が終わるまでの数分間。痛みに耐えるユッコさんは途方もなく長く感じたに違いない。
そして、それでも、彼女の旅は続いたのだった。
8月26日、徳島市文化センター。27日、松山市民会館。28日、広島郵便貯金会館。…
コンサートの観客達を、夢の国へいざなってくれたユッコさん。
彼女は現実の重圧の中で、なにを思っていたのだろう。
ユッコさんが足跡を残した、新宿厚生年金会館ほか全国各地のコンサート会場。
年月の経過には抗えず、近年その多くが姿を消していった。昭和の面影はますます遠くなり、とても寂しく思う。
かつて彼女が立ったステージはなくなってしまったけれど。
1985年の夏の日々は、決して戻ってこないけれど。
あの夏がんばった18歳のファンタジアンを偲びたい。偲んでほしい。
photo by yukikostarlight