その昔、北海道に幾春別という名前の駅がありました。
いくしゅんべつ、と読みます。
かつて北海道の、そしてわが国の発展に多大な貢献をした石炭。日本のエネルギー政策の転換により炭鉱が次々に閉山し、使命を失った運炭鉄道は昭和の終わり頃、ほとんど姿を消しました。
そんな路線のひとつが、旧幌内線です。
北海道の中心に位置する夕張山地。この地にあったたくさんの炭鉱から、石炭を輸送するための路線が多数敷かれました。そのなかで最も古くから存在する、小樽港に向かう北海道最古の鉄道の一部として建設されたそうです。
その幌内線の終着駅が「幾春別」でした。
この名前は、アイヌ語の地名「イクスンペッ(彼方の川)」への当て字だそうです。かつて対岸のポロモイ(幌向)に居住していたアイヌたちが、この地方一帯を指して呼んでいたことが由来とされています。
この地には樹齢600年にもなるハルニレの巨木があり、炭鉱で働くために移住してきた人たちは、この木を目印に幾春別炭鉱までやって来たのだそうです。
かつて多くの人々で賑わった炭鉱の街を、ここ幾春別出身の歌手・倉橋ルイ子さんが歌っていました。
幼い頃をこの地で過ごした主人公が、悲しみを抱いて今は寂れてしまった駅に降り立つ、という内容です。
阿木燿子さん作詞、宇崎竜童さん作曲。切ないうたです…
高校時代に、終焉間近なこの駅を一度だけ訪ねたことがあるわたし。
彼方の川との意味をもつ、美しく切ない語感の駅名をいま思い出して、感慨に耽りながらこの文章を書いています。
春。ユッコこと岡田有希子さんが突然、二度と戻って来れない川の彼方へ行ってしまった季節。
あれから幾つもの春に、哀しい別れを思い出してきたユッコファンにとって、心騒ぐ春の一日がまた訪れようとしています。
訪ねた駅でこの古いスタンプを押してから、もう40年ほども経ちます。
北海道では、旧炭鉱地域には古くからのスキー場が存在することが多いようです。
危険と隣り合わせだった労働者の、つかの間の楽しみだったのでしょうか。
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