〝♪眠れない…眠らない…〟
わたしが多感な田舎の高校生だったころ。
深夜にノイズ混じりのAMラジオから流れた、こんなフレーズから始まる曲が偶然耳に飛び込んできました。
その曲は途中でフェードアウトしてしまい、曲名も誰がうたっているのかもわかりませんでしたが、なんとなしに、ずっと印象に残っていました。
いまになってこの曲には〝恋の不眠症〟なるキャッチコピーがついていたのを知りましたが、悩み多き当時のわたしの琴線に触れるものがあったのでしょう。
あれから四十年近くも歳月が流れてから、この曲がユッコこと岡田有希子さんによく似た名前の、岡村有希子さんの「眠れない…眠らない」だとわかりました。数十年来の疑問が解けて、本当にすっきりしました
タモリさんに愛称を貰ったという、ユーリンこと岡村有希子さん。
ユッコさんよりも3カ月早く、レコードデビューしていたのですね。
ふたりは堀越学園のクラスメイトにして芸名はたった一字違い、なんと同じ「有希子」。
岡村さんの本名「佳枝」も、ユッコさんの本名「佳代」と一字違い。
そして岡村有希子さんデビュー時のキャッチフレーズ「夢見るリセエンヌ」は、かしぶち哲郎さんがユッコさんにつくった曲「ポップ・アップ・リセエンヌ」と被っているという。
…ここまで重なってしまうと、先に「有希子」を名乗っていたのにユッコファンから偽物呼ばわりされたという、岡村さんに心から同情してしまいます。
岡村さんは1984年にユピテルレコードから「哀しみのレイン・トリー」という曲でデビューを果たしたあと、「眠れない…眠らない」「雨上がりのサンジェルマン」とシングルを順調に発表していました。アルバムごとに明確なテーマがあったユッコさんと同様に、岡村さんの曲にもフレンチポップス的なコンセプトが貫かれていたことがうかがえます。
ところが、なんとレコード会社の倒産により4枚目のシングルになるはずだった「水曜日のリセエンヌ」は未発表のまま終わってしまいます。アイドルとしては、残念ながら成功したとはいえなかったでしょう。
ユピテルという企業自体は二度の経営再建を経て、現在も電気機器メーカーとして健在のようです。
そういえばバブル華やかりし頃、貧乏学生だったわたしは都内の風呂なし・トイレ共用アパートに住んでいて、電話もしばらく隣の部屋に住む先輩のを借りていました。その先輩の固定電話が、ペパーミントグリーン色のユピテル製だったのをよく覚えています。
その後岡村さんは日本最古のレコード会社であるコロムビアに移籍し、85年に本名の岡村佳枝として「私のパーフェクト・ボーイ」で再デビューを果たすのですが、これがアイドル歌手として最後のシングルになってしまいました。
そんな岡村さんは、かつて存在していた「横浜ドリームランド」の初代イメージガールとしても活躍しました。彼女がドリームランドに関わった当時の資料や動画には、有希子・佳枝の両方の名義で登場しています。
開業したばかりの東京ディズニーランドに取って代わられてしまった横浜の〝夢の国〟を盛り返そうと、きっと奮闘したのでしょうね。その後のドリームランドがたどった道を考えると、さびしいばかりですが。
岡村さんのシングルは未発表だった「水曜日のリセエンヌ」も含め、いまではyouTubeで聴くことができます。いま聴いても、佳い曲ばかりだと思います。彼女の天賦の歌唱力はもちろん、周囲にいたスタッフもユーリンを成功させようと頑張ったことが偲ばれます。
岡村さんはその後アイドルからアニソンシンガーに転身し、現在は郷里の山口県下関市で「渡辺かえ」さんとして、ラジオパーソナリティーとして活動されているそうです。
ユッコさんと同じ時代を、同じ世界で共に過ごした岡村さん。末長くお元気で活躍してほしいと思います。
あなたがうたった「眠れない…眠らない」はいまもなお、五十肩による不眠に悩むわたしの琴線に触れていますよ。
photo by yukikostarlight
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