わたしはブログのプロフィールに書いたとおり、ユッコこと岡田有希子さんの魅力に気づいてからまだ日が浅い新参者です。ファンになったばかりの頃、彼女をもっと知りたくてネットサーフィンをしまくった結果、こんなこと↓に気づきました。
空の上のひとになったユッコさんを、マスメディアが長年にわたってタブー視してきたこと。
一方で、彼女の十三回忌を迎えた1990年代末頃にはユッコさんのファンサイトが多数存在し、彼女のCDが復刻されるなど〝ユッコ復権〟の波動が起きていたこと。
特に、発売されなかった彼女の9枚目のシングル曲「花のイマージュ」がこの時期に陽の目をみたことは、多くのファンの方が喜んだことでしょう。
そして十七回忌の頃にはラストアルバムと同時に発売された単行本「ヴィーナス誕生」が復刻され、ユッコさんの生誕五十年・三十三回忌の頃には数年間にわたって、岡田有希子をフィーチャーしたラジオ番組「ドットーレ山口のドキドキラジオ‘84」が毎週放送されるという、ファンが滂沱の涙を流したであろう偉業がなされたこと。
三十三回忌といえば一般には〝弔い上げ〟といわれ、なくなった方に対する思いに一区切りをつけようということなのだそうですね。
わたしといえば、世間がユッコさんに注目した時期をすべて逃してしまってからファンになった、まさしく〝遅れてきた中年〟にほかなりません。
あれだけたくさんあったユッコさんのファンサイト。わたしが彼女のファンになってから、大部分が更新停止・閲覧不可となっているのを寂しく思っていたある日のこと。90年代末当時の熱気を彷彿させるような、ユッコファンによるユッコファンのための、ひと世代前のスタイルの掲示板がひっそりオープンしたのを偶然見つけました。
管理人さんは90年代末当時もファンサイトを運営して荒れる書き込みに手を焼いた経験があるらしく、利用に際しすごく厳格な規約が設けられていました。新参ファンのわたしはそれに怯んで書き込みこそ遠慮していましたが、数人のファンの方によるユッコ談義を楽しませていただいていました。
たまたま仕事が立て込んでネットにアクセスできない状況があって、数日ぶりに件の掲示板にアクセスしてみたら。
なんとそこの常連だった方のある書き込みが発端で荒れまくった結果、管理人さんが苦悩の末に掲示板を閉じる決断をしたことがわかりました。
すぐに掲示板閉鎖の日が来てしまい、わたしはそこではじめて残念ですという趣旨の書き込みをしました。誰の目に触れなくても、管理人さんへの感謝の思いが伝わればそれでいいと思って。
いま思い返すと、あの掲示板はネット情報の海に溺れかけたわたしに、ユッコさんがみせてくれた幻影だったのかもしれません。
それからしばらくたってなお、ユッコさん愛がいつまでも冷めやまないわたしは、愛読していた岡田有希子ファンのひとたちのブログをお手本に、自分も思ったことを書いてみようと思い至りました。
ほんの先月の話です。
わたしの知人で新聞社を経て出版社で編集者をしているひとが、こんなことを言っていました。
毎日厳しい締め切り時間に追われる新聞記事の校閲と、書籍の校閲。プレッシャーがより大きいのは書籍の方なんだ。なぜなら新聞記事でミスがあれば翌日におわび訂正を出せば済むけど、書籍にはそんな手段はないからなんだ、と。
じつはこれまで書いてきた記事たちに対し、わたしは公開後に編集・加筆を繰り返しています。
正直、ブログを始めた頃は「わかるひとにわかってもらえればそれでいい」という気持ちがありました。でも続けていくうちに「もっと多くのひとに、少しでも岡田有希子さんへ関心を持って欲しい」との思いが強くなりました。なので〝公開後の編集が好きなだけできる〟というブログのありがたい特性を生かして、自分の過去記事をこれから読むひとによりわかりやすくすべく、少しずつ直しています。ついでにこっそり、誤字をスルッと直したり…
今回のタイトル、最初は「遅れてきた中年は、かくして仮免ライターになった」にするつもりでしたが、調べてみるとライターということばはブロガーよりも〝書いた文章は商品である〟とのニュアンスが強いらしく、おこがましいので止めました
ブログのネタは夜中に風呂に浸かりながら思案することが多いので、今回のタイトルはこんなふうに捻り出しました。チョーブロガーではありません、念のため。
ぬるま湯でぼーっとユッコさんのことを考えるのが楽しみなわたしの駄文、よろしければこれからも読んでやってください。どうぞよろしくお願いいたします。
photo by yukikostarlight
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