昨日のポケベルの思い出にお付き合いくださりありがとうございました
高専時代の2つ下の後輩に好きだと言われるも、当時年下と付き合うなんて1m mも考えておらず、返事もしないままわたしが卒業し、その後、何もなかったかのように先輩と後輩を続けていました。
わたしが大阪に就職した時は、いつもの後輩たち3人が遊びに来て、いつも通りワイワイやって3人で泊まっていきました。
(高専だからね、普通に24時間の実験もあるから、男女が同じ部屋で寝泊まりするのはそこまで変な話でもない)
先に就職していたわたしは、職場でバリバリ働く先輩たちに憧れの眼差しを向けていたので、学生の後輩たちはいつまで経っても可愛い後輩。
彼らがうちに遊びに来たのはその1回きりで、そのあとは誰とも連絡もとっていませんでした・・・
その後、わたしは東京に転勤し、夫と知り合いすぐに結婚。
2年後に第一子を産み、続いて2年後に第二子を産んで、バタバタとするけど充実した日々を送っていました。
2人の子供をワンオペで育てていたなかで、自分の体に異変が起きたのもこの時期でした。
詳細は割愛しますが、真珠腫性中耳炎の影響で脳挫傷を起こしていたのです。
めまいがひどくなり病院に行きましたが、どの病院も(それはそれは大きい有名なG医科大、J大学病院など、都内の有名な病院に行って調べてもらいました。)
「これは大した症状じゃない。薬出しとくね」
と、どの先生も口を揃えて言うのです。
CTも撮ってもらいましたが、「うーん、大丈夫だと思うけどねぇ」と言われるだけで、特に危ないとも重大な病気だとも言われませんでした。
でも、自分の体の異変は自分が一番わかる。
「これはただのめまいではない」
そう感じたわたしはネットで検索しまくりました。
そして見つけた、大阪の開業医。
そこにコンタクトを取りました。
「すぐに来てください」
そう言われて、飛行機で行ったところ、CTを見た先生は開口一番に
「明日にでも手術しないと危ない。でも、まだ赤ちゃんが0歳ということなので、支度して来週の土曜日に手術しましょう」
と、先生の手術の予定は半年先まで埋まっていたのに、わたしを横入りさせてくれました。
それほど、やばい状態だったのです・・・
手術は8時間。
耳の後ろから頭蓋骨を削っての大手術になりました。
先生の経験の中で3本の指に入るほどひどい状況だったそう・・・
「本当は1週間入院してもらいたいんだけどね・・・」という先生。
乳飲子がいて、哺乳瓶でミルクを飲まないのでどうしても帰りたいと伝えて、手術翌日に一旦帰宅しました。
1週間ごとに診察に来ることを約束して。
子供を実家に預けていたので、大阪から九州まで飛行機に乗りました。
手術したあとは、メイクも禁止。頭が腫れているので脱ぎ着できないため、お洋服は前がボタンのものじゃないといけません。
前ボタンのお洋服は、超ダサい服でしたがこれしか持っていないんだからしょうがない・・・
「誰に会うわけでもないし、ま、いっか。」
この安易な考えが、のちにとてつもない猛烈な自己嫌悪に苛まれるとは、この時は全く想像できませんでした。
頭はまるでちびまる子ちゃんに出てくる玉ねぎ頭のあの子そっくりな形に変形し、お洋服はちびまる子のお母さんが着ているみたいなおばちゃん風。
不細工で、この世の顔とは思えないほど変な顔をしていました。
しかし、不細工でも命が助かったのだから、よしとしましょう。
命がなければ、帰ることもできませんから。
大阪発の最終飛行機。
わたしは疲れと痛みから、最後の乗客としてトボトボ飛行機に乗り込みました。
後ろの方の席の2人掛けの通路側。
「夜景も見にくいから、飲み物サービスが来るまでは雑誌を見て過ごそう」
そう思って機内誌を読んでいました。
しばらくすると・・・右の方にチラチラわたしを見ているような視線・・・。
「不細工だよね。変な顔の形だよね。見ないでほしい」
そう思って、その視線を無視しました。
ジロジロ見ていたのは、通路を挟んで3人がけの真ん中の席の人。
そのサラリーマン風の男性は(スーツを着ていたからそう思った)体を揺らしながらこちらの方をずっと見ていました。
「あ、あの人わたしの変な顔じゃなくて、夜景が見たいのかも」
それに気づいたわたしは、椅子を倒してあげました。
しばらく機内誌を読んでいましたが、頭が痛いから読みづらく、そのまま寝ることにしました。
そうするうちにコーヒーの香りがしてきたので、一旦起きてコーヒーをもらうことにしたのです。
「コーヒーをお願いします」
と、通路に立つCAさんに声をかけた瞬間、通路を挟んで真ん中の席のサラリーマンがわたしに向かって手を振ったのです。
「え?何あの人・・・
」
と不審な男性を怪訝そうに見てみると、何と、そのサラリーマン風の男性は、ポケベルのをくれた2こ下の後輩でした。
サラリーマン風ではなく、しっかりとサラリーマンだったのです。
「先輩、何してるんすか?俺、ずっと見てたのに全然気づいてくれないから手を振ったんです!」
と学生時代と変わらない、子犬みたいな後輩。
「こんなところで知ってる人に会うなんて思っても見なかったから・・・何してるの?」
「俺、出張帰りっす。一番最初に飛行機に乗って座ってたら、最後に機嫌悪そうな女が来るなーと思ってたら先輩でした!笑」
この会話を聞いていた、3列シートの通路側のご婦人が
「あらあら、久しぶりの再会なのね。席をかわりましょうか?」
と言ってくださったのですが、こんな不細工な顔を近くで見られたくなかったので「眠いので少し寝る」と言って、丁寧に断りました。
手術後じゃなかったら、お言葉に甘えて席を変わってたくさん話をしたと思います。
着陸後、席を立つ後輩に「バイバイ」と言って別れ、わたしは最後に降りてきました。
「どうか手荷物受け取り所で会いませんように・・・」
と祈りながら。
手荷物受取所でも無事に会わず、わたしはほっとしてゲートを出ました。
すると、どうでしょう。
身長180cm越えのスーツの男性たちが3人立っていました。
後輩、子犬みたいな反応ですが、身長は183cmありました。
「先輩、全然降りてこないから上司たちも待っててくれました!」
と、また子犬のように喋る後輩。
その横にイケオジとわたしより2、3こ上に見える男性が立っていました。
聞くと、大阪に出張し最終日の最終便で帰れることになったので、席はバラバラになり、後輩は一番若いから、後ろの席になったとのこと。
その上司たちとも少し挨拶をして、名刺交換をして(名刺はどんな時でも持参してます)、今日は自分は手術をして帰ってきたのでメイクもしておらず、変な顔でごめんなさい・・・とかなんとか、ヘンテコな挨拶をしたことだけば覚えています。
「先輩、いつまで実家にいるんすか?俺、昼休み抜けられるのでお昼呼んでくれたら行きます!ね、いいっすよね(上司に確認しながら)」
と言って携帯電話の番号を教えてもらった。
あれから、20年。
あの最悪な顔の日に会った依頼、一度も会っていない。
あの日に神様が会わせてくれたのはどうしてなんだろう。
憧れの先輩として、綺麗な姿で会いたかったよ・・・涙
20年間思い出しもしなかったこの思い出を、昨日のポケベルエピソードを書きながら思い出しました。
後輩くんは、結婚して2人のパパだそうです。(妹経由で聞いた)
きっといいパパになっているんだろうな〜と想像できます。
これもまた、懐かしい思い出。