実は水曜日から昨日まで
九州からわたしの母親が遊びに来ていました。
もっと詳しく言うと、「母の眼科の検診」を兼ねて孫たちに会いに。
母は10年以上前に、「突然モノが2重に見える」という事で眼科に行きました。
そこで下った診断は「白内障」。
でも、手術は3ヶ月先まで一杯で、これじゃあ生活に支障が出るよね・・・
と、いうことで、わたしが関東に呼んで手術をした母。
たまたま家の近くの病院が有名な眼科で、そこの先生に診てもらったら酷く、酷く、酷く叱られました!
タダの白内障ではなくて、糖尿病による白内障だったから。
「なんでこんなになるまで放っておいたんだ!」
と叱られましたが、その時初めて「糖尿病」という事がわかりすごく安心したことを覚えています。
(放っておいた・・・と言いましても、わたし一緒に住んでないし・・・と、言いたかったけどグッと堪える)
母はその時に糖尿病と言われて酷くショックを受けていました。
元々食べるのが好きな母。
特に白米とパンが大好きで、パン好きの母に影響されてわたしは高校生の時にパン屋でバイトをしていました。
「何も食べられなくなるんじゃないか・・・」
という不安から、うちに帰っても母は毎日泣いてばかりでした。
そんな母を見て、可哀そう、とは一ミリも思わず「パン以外にも食べるものはいっぱいあるのに、、、」と残念な気持ちになったことを覚えています。
でも、一緒に暮らした半年間の間に有機野菜を蒸したごはんや、白米を減らしたごはん、その時はパンは食べさせず間食はわたしの手作りに変えて、体重も10kg減りました。
そして、HbA1cの値は薬も併用していましたが平均値に収まるようになりました。
以後、10年経過していますが、食事改善と定期健診のお陰で目も悪くなっておらず血糖値も良い値をキープしています。
前置きが長くなりましたが、コロナのお陰でしばらく会えていなかった母との再会。
実は、母には(母だけじゃなく父にも、そして夫のお父さんにも)夫が膵臓ガンステージⅣであることを隠しています。
(これは、夫の意向)
でも、8kg痩せた姿をみたら気付くかな・・・
抗がん剤点滴中に来たらバッグをぶら下げて具合悪そうにしている夫をみたら一発で気づくな・・・と、不安がありました。
が。
運よく(?)抗がん剤スキップした時だったので、抗がん剤治療のことはバレず。
夫が必死に筋トレをするもんだから痩せているのは「筋トレのせいで身体が引き締まったから」と、認識した母。
食事は母が一番最初に糖尿病と言われた時の食事とほぼ同じ(野菜10種類以上使ったメニュー)だったので、なんの違和感もなく、何の話題にもなりませんでした。(ホッ・・・)
夫が何で親に言いたくないかというと
「離れて暮らしていると、無駄に心配をさせるから」
「俺が治ればガンだった事実は言わなくていい」
と、いう理由。
わかる。
それ、本当に分かる。
「膵臓ガンステージⅣ」というと、聞いた人は必ず涙を浮かべます。
まだ死ぬって決まったわけじゃないのに。
(最初の病院なんか、私たちが泣いてないのに看護婦さんが涙を浮かべて困った)
でも、治らないなんて考えていない。
不安が無いかというと、それは多少はあるけどガンになったそもそもの理由をひとつずつぶしていけば答えはそこにあると思っている。
白内障だってそうよね。
目の病気だと思っていたのに、原発は糖尿病だなんて、
その時まで知らなかった。
でも、食生活を変え、生活を変えたらちゃんと治る。
この本「がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのことを読むと末期の方が完治するまでの色々なストーリーが書いてあります。
「それは奇跡です」と言われて取りあげられなかった、末期がんから生還された方が実践されたことを、こうやって本にしてもらって、本当にありがたい。
要は、完治された方の真似をすればいいってことじゃない?
病を恐れず、むしろこの病を愛しく思う。
膵臓ガンになっていなかったら、もしかしたら子どもたちが将来、とんでもない病気になっていたかもしれない。
病を恐れない。
心の安定を常にはかる。
あとは、食事。
これが一番大事かもしれない。
抗がん剤スキップが2回続いているけれど、不安はなく、血液検査の値を改善するための治療にフォーカスしてみようと思う。
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