HSPだと分かった事は良かったのか、そうでないのか。 | ゆききちの代謝異常症姉妹子育てブログ

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先天性代謝異常の娘を持つ母親の日々の出来事、
子育て一般の思いを綴ります!

ここ数年でHSPという心理学上の概念は
かなり定着しつつあると思います。

ネットには診断用のチェックシートが
あちこちにあり、HSP関連のネット記事や
書籍が散見されます。

この様なメディアに触れて、思い当たる人が
簡易的なチェックシートなどを利用して
自身のHSP傾向について調べて、
そして、自らHSPであることを自認して
いるわけですね。

自身がHSPであることを知れて

良かったと思う人が多い様です。

HSPであるとすれば腑に落ちることが

沢山あって、納得がいくし、

対処法も見えてくる。

もしかしたら、同じ悩みを抱えている

人に出会って共感し合えるかもしれない。


確かにメリットは多そうです。


一方で、

HSPであることを自認したところで

良い事ばかりではない、

又は、あまり良くなかったと

感じている人も一定数いるようです。


私は後者です。


確かに、HSPだと分かったことで

腑に落ちた感覚はありました。

でも、自身の過敏性を変えられる

わけではありません。


HSPではない人には

こんな風には感じないんだな、

この気持ちは理解されないんだな、

どのみち大袈裟な人と思われるんだな、

とやらせない気持ちになります。


自分の過去をHSPという

フィルターを通して振り返ってみると、

当時の自分の感じて来た痛みや

不安や不快感や違和感を

ありありと思い出します。


喘息の苦しさと恐怖、

夜中の救急外来の暗さとよそよそしさ、

お留守番の時の緊張、

夕方の心細さ、

幼児期の記憶に再び恐怖が蘇ります。


過去の辛かった事を思い出しすと

今も傷つきます。


私の過敏さはなかなか理解されず、

ともすれば非難の対処にすらなります。

気にし過ぎと鬱陶しがられるのではないか

と、自身の感覚を表に出す事は躊躇われます。


過敏さに疲れてしまうと、

無力感にも襲われます。

こんな事も我慢が出来ないのか、

こんな予定すらこなせないのか、

と自分に失望します。


HSPと分かって良いことが全く無かった

とは言えませんが、

それを良い事と捉えられるほど、

現状は好転しません。

不治の病を宣告された気分です。


まぁ、基本的にHSPで死ぬ事はない

のですから、基礎疾患が一つ増えた

様な気持ちで付き合っていますが、

自身の面倒を見るのに手間がかかり過ぎて

嫌になる事もしばしばです。


下の子プチ子も、過敏傾向が強く

苦労しています。

彼女の過敏さを和らげる事にも

気を遣います。


この世の中は、本当に刺激が過剰だなと

日々感じている、それが私の日常です。