満州文字(まんしゅうもじ)は、満州語を表記するために制定された文字。明代、建州女真(建州女直とも)を統一していたヌルハチ(努爾哈赤)がエルデニ(額爾德尼)と噶盖に命じて、1599年(万暦27年)にモンゴル文字の表記を応用して制定したとされる。
しかし、当初モンゴル文字の体系をそのまま使用していたために、モンゴル語とは音韻の異なる満州語を表記するには問題が多く、1632年(天聡6年)、ヌルハチの子ホンタイジ(皇太極)が部下のダハイ(達海)に命じて文字表記の改良を指示した。
ダハイは従来の表記に加えて文字の横に点や丸(圏点)を添えて、満州語の一音が一文字で表記できるよう改良した。従来の文字を「無圏点字」といい、ダハイにより改良された表記を「有圏点字」と呼ぶ。
清代には公用文字として公文書には必ず用いられたと言われるが、実際には清代の中葉から漢字で書かれた文献が優位になっていた。

$ひろむの一言メモ-満州文字
満州文字で示した「満州」

$ひろむの一言メモ-紫禁城
紫禁城の門の額に書かれた満州文字と漢字


引用元
wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E6%96%87%E5%AD%97
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満州人が使っていた満州語は、日本と同じ主語、補語、述語(SOV)の順番で言葉が並ぶアルタイ語族の言語です。ちなみに中国語(北京語)は、SVOの順番で言葉が並ぶシナ・チベット語族と呼ばれる言語です。
漢族と満州族は別民族といいますが、実際に文字を見ると全然違う民族ということを実感させられます。

旧満州は、満州民族の故地として、神聖な場所として扱われていたようです。満州事変で誕生した満州国は、日本人の公務員はいたものの閣僚がすべて満州人でした。日本が統治していた朝鮮では、当初公務員は日本人が占めていたものの、初等教育が普及するにつれて朝鮮人を公務員に雇っています。中国が満州国を日本の傀儡国家と否定し、満州を中国が支配することを正当化できる理由はありません。

琉球は1609年に薩摩藩の侵攻を受け、薩摩藩の傘下になりましたが、清国にも朝貢を行っていました。そのために、中国は沖縄の領有を主張しています。しかし、琉球が送った朝貢の文書は満州文字が使われています。清国と中華人民共和国には国家としての連続性はありません。もし沖縄の領有で日本が譲歩すれば、朝貢を行っていた他のアジアの国々全体の安全保障に関わることになります。ちなみに、薩摩藩が支配する前の琉球は言語体系が日本語に近かったため、ひらがなが使われていました。