ホンダ・シビックの系譜(前編)。 | 渡り鳥の詩

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主にクルマや旅や日常のコトを気ままに書いて行きます。基本長文で、尚且つ加筆修正の嵐なんで以前見た時と文章が違う時が多々ある(むしろ加筆修正しない方が珍しい)ので、ご了承下さいませ。

こんばんは。







皆々様に於かれましては、如何お過ごしでしょうか。







え?いつもと口調が違う?







まぁ気にしないで。元々口調なんか気にしない性格なのでご勘弁を。







さてさて、お代は見てのお帰りだよっと。







まずは記念すべき第一弾初代シビック(1972年発売)。











オレンジ色のニクい奴。写真のこれはRS(ロードセーリング)かな。1.2リッター、76馬力のスポーツグレードだ。







ロードセーリングとはまた奇妙な和製英語だが、要はオイルショックやらなにやらでスポーツカーは悪、みたいな風潮のご時世だったので世間体を気にしてのオブラートに包んでの命名らしい。







ま、オブラートに包みすぎて意味分かんなくなってるのが一番の問題かな。







ちなみにポルシェのRSはレン・シュポルト。ドイツ語で純粋なレーシングモデルという意味を持つ。こちらはキチンと名は体を表している。







この時代にはレーシングモデル、スポーツモデルを名乗る事も許されない風潮だったのだろう。







そんな逆境の嵐吹き荒ぶなか誕生した初代シビックで特筆すべきは、何と言ってもCVCCエンジンだろう。







クリアは不可能とまで言われた、アメリカのマスキー法を初めてクリアした低公害エンジンとして名高い。







、、、と、マスキー法の説明がまだだった。







簡単に言えば、アメリカのお偉いさんが「クルマの排気ガスのせいで空気が汚くなってるから、排気ガスの有害物質を1/10にせい。出来なければ罰金じゃボケ」







とゆー、出川哲朗も真っ青の無茶ぶりを寄越し、世界中の自動車メーカーが頭を抱えていたところにホンダが出した答えがCVCCだった。







マスキー法が発令された頃、未だに(1970年当時)自動車メーカーとは認めて貰えてないホンダは「これは名前を売るチャンス」ほくそ笑んだ事だろう。







ホンダは自動車メーカーとは認めて貰えてなくても、F1では強かった。ゆえに、エンジン技術に自信があった。







CVCCは今で言うリーンバーンエンジンだが、詳しくはウィキペディア参照。







マスキー法が発令される前年まで、各メーカーのエンジンパワー競争が激しかったが、1970年から一斉に骨抜きにされちまった。







そんななかでシビックは輝いて見えた事だろう、サラリーマンのお父さんから横文字職業の方々までこぞってシビックに乗った。それこそ瞬く間に街中シビックだらけになったそうだ。







今のハイブリッドカーブームのはしりだろうか。







んー、ちょっと長くなりすぎたかな。次、二代目シビック(1979年発売、通称スーパーシビック)。











見事なまでのキープコンセプト。ただ、ホンダ社内では二代目で大きくデザインを変えよという声もあったそうだが、ようやく人気が出てきたアメリカ市場をにらんでこのデザインにしたそうだ。







いわく、「ようやくアメリカでも認知され始め売れるようになってきたのに、デザインを大きく変えたら売れなくなる」とかなんとか。







てなわけでデザインは大きく変えず発売。ただ、アメリカではともかく日本では販売は振るわなかったらしい。個人的には凄く好きなデザインなんだけどねぇ。







いや、きっと初代が売れ過ぎたのだろう、、、。







まぁいいや、次。三代目シビック(1983年発売、通称ワンダーシビック)











このあたりからホンダはエコイメージを捨て、スポーツイメージで売るようになった。F1に再びエンジンを供給し始めた事からも、「スポーツのホンダ」への路線はこの時ガッチリ固まっていたと思われる。






バラードCR-Xなんかはその代表格かな。











「ナニワトモアレ」って漫画で取り上げられたせいか分からないが、未だに根強いファンがいる。







ホンダファンなら周知の通り、あのピニンファリーナがデザインしたと専らの噂(公式には岩倉信弥氏)だ。







ま、誰がデザインしたってカッコ良ければいいんだけどさ。






ちなみに、ホンダで初めてカーオブザイヤーを取ったクルマでもある。







次、四代目シビック(1987年発売、通称グランドシビック)。











このあたりからバブルに向けて経済が右肩上がり、世の中の雰囲気がイケイケドンドン、セコいエコなんか考えてられるか!ってなもんでホンダはスポーツイメージにさらに磨きをかける。







シビック初のDOHC-VTECを積んで、自然吸気ながら馬力が1リッター換算100馬力を達成したり、サスペンションにダブルウィッシュボーンを奢ってみたり。











自然吸気で1リッター換算100馬力は、当時ではレースエンジン並みだった。ま、テンロク(1.6リッター)の小さいピストンだったからこその達成だったろうが。






最高出力が7600回転(160馬力)、最大トルク発生の回転数が7000回転(15.5キロ)と、エンジン特性は市販車にはあり得ない超高回転型。まぁこれもまたレーシングエンジン並み。







よくぞ市販車で、しかも大衆車でこんなクルマを作ってくれたと思う。






バブル前夜という時代背景、そして日本という国じゃなきゃ決して作れなかったクルマだろう。







ま、低速トルクが無いとか燃費が悪いとか欠点はあるものの、そんなものは枝葉松節。







このVTECエンジン、さらに前述のダブルウィッシュボーンサスも「スポーツのホンダ」の企業イメージ確立に一役買ったのは間違いない。F1でも強かったし。







クルマは時代が作り上げる、ってね。







、、、と、ちょっと書き疲れた。文章遅いし、書きたい事も多いからえらく時間かかるな。とりあえず今日はここまで。後編はまた後日にでも。







でわ、しーゆー♪