どこかを訪れ、なにかを感じた時、ともに旅する誰かと共有することは素晴らしいことだが、一人で旅して噛み締めることはまた特殊な良さを持っている。



景色を見て、体験して、ある時はしくじって感じたことを、その場ですぐに友人なりパートナーなりに話すと、その人との絆を感じたり、さらに高揚できたり、違いを認識したりして、もちろんそれはそれで放出が楽しい。




が、一人だとそれを内包する。ぐにゃぐにゃもやもやもだもだぐわんぐわんと内包する。そうすることで分かるのは、自分が本当の本当にどう感じているか。


誰かと旅しても本当の本当をきちんと共有する人もいるだろう。でもどこかでその人に合わせてしまったり、言葉を選んだりして、感じたぐにゃぐにゃもだもだが小さくなる部分もある。一人旅にはそれがない。




そもそもわたしなんぞは、自分がどういう人間かいまだ分からないものだから、一人旅が助かる。内包したことを言葉に置き換える。絵や歴史ある建物を見て、ついつい出てしまった涙は、誰かと居るから流れたものではないと確信できる。



その後、もっと深く考える。あの感情はなんだったのか。なにがいちばん響いたのか。なにを大事にしたいと思ったのか。

 

また、一人で移動中や、ホテルのデスクに向かう時、窓からの風景を見ながら、二度と会えないであろう友人とか、亡くなってしまった大事な人たちとか、昔の恋愛とか、だめな付き合いとか、たぶんお互いの中で淡い想いの生まれた瞬間とか、芝居をつくっていた時の強烈なダメージとか、さまざまなことが駆け巡ることがある。


自分の部屋にいてもそういうことはあるけれど、旅先の違う風景の中でそれらは突如として駆け巡る。そうしてそれらは、日常という逃避場所もなく、もっと深く考えさせてくる。考えると整理が少しずつついていく。整理されると、また違う一歩を踏み出せるような気もする。



考えることで馴染んでくるそれらは、精神的にも良い。また書く人間としても良い。人によると思うが、わたしにゃ必要な時間だ。


写真はオランダ旅のあれこれ。