書くということには、なんらかの覚悟がいる。もちろん、自分だけが読むぶんにはいい。だが、書いたものを世の中に出すとき、そこに覚悟は必ず要る。それはどんな文章でも、だと思っている。自分は劇作家だからもちろんホンを書いている。それを世にも出している。それに覚悟は必要だと分かってはいた。けれど最近『ペンタゴン・ペーパーズ』『大統領の陰謀』それから『スポットライト 世紀の大スクープ』を観た。また少し前に、詩森ろばさんが脚本を担当された『新聞記者』も拝見した。それらを総合して噛み締めるに、記者という仕事における覚悟は凄いな…と感じたのだ。そして正真正銘の覚悟を持って記者をやっているひとならば、どんな文章でも書けるだろうなと思った。かの松本清張も長年記者をやっていた。

大学入試のときの小論文で「ジャーナリストになりたい」と書いたのを思い出した。ひとつの事象を徹底的に追求することに憧れていたし、英米科に受かったらニューヨークに行きたいと思っていた。受かったのが国文科だったので今に至るわけだが。もちろん英米科に受かったとしても、骨太なジャーナリストになれたのかはとても怪しい。自分にそれほどの覚悟が持てたかどうか。

いろんな記事がある。質の高いものもあれば低いものも。記事、だからといってすべて一緒ではない。なにが本質かを見極めるのは自分だ。けれどとにかく、覚悟を持って書かれたものは、覚悟を持って読みたい。そしてその覚悟の中で本質を見極めたい。そんなことを思う『いま』なのだろう。