今回は「秋に聴きたいメイデン(IRON MAIDEN)」のアルバム(曲)1990年代編として、「No Prayer for the Dying」(1990年作品)と「The X Factor」(1995年作品)の2枚について語ります。
まずはNo Prayer for the Dying
メイデンの8枚目のスタジオアルバムで、デビュー10周年となる1990年の10月1日にリリースされました!
本作のレコーディング開始後まもなく、2ndアルバム「Killers」より参加して、ソングライターとしてもバンドに多大な貢献をしてきたギタリストのエイドリアン・スミスが脱退することになり、急遽(元 WHITE SPIRITでGILLANなどにも参加していた)ヤニック・ガーズを迎えて制作された作品です。
1988年にリリースされた前作「Seventh Son Of A Seventh Son」は、スティーブ・ハリスをして、「同じ方向性では(コンセプトアルバムとしては)、もう本作を超える作品は作れないかもしれない」と言わしめたほど緻密に練り上げらた作品!
このため、その次作となる本作ではあらかじめ方向性を決めることなくスタジオに入り、「しばらく(休暇を取っていたことで)プレイしていなかった鬱憤を爆発させた」結果、「ライブ感を意識した曲作りに舵を切った」とのことで、初期のメイデンの作品に通じるようなアグレッシブな曲が多く収められています🤘
その結果、キャッチーでアメリカ寄りのサウンドを好むエイドリアン・スミスが、他のメンバーとの音楽性の違いを強く意識することになり、レコーディング中に脱退することになりましたが😥
(エイドリアンが本作に遺した「Hooks In You」が一番アグレッシブな曲じゃないかと突っ込んだ人は多かったと思いますがw)
前作「Seventh Son of a Seventh Son」が極めて完成度が高い作品だったので、個人的には「前作と比べると散漫な印象の作品」に思えてしまったし🤔本作リリースの少し前(90年9月)に同じ英国出身の“メタルゴッド” JUDAS PRIESTがリリースした12thアルバム「Painkiller」が圧巻の内容で、個人的には「JUDASの圧勝!」に思えたこともあり、第一印象としてはやや「肩すかし感」がありましたね😞
(同時期にはMEGADETHの「Rust In Peace」、QUEENSRYCHEの「Empire」などメタルの名盤が豊作だったことも影響しているかも)
実際に、当時の音楽雑誌での評価もあまり高くはなかったように記憶しており、某B誌w が本作につけた評点は87点で、その年の読者による人気投票アルバム部門では14位にとどまりました😑
(ちなみに1位は「Painkiller」で、以下5位まで見ると、2位:QUEENSRYCHEの「Empire」、3位:MEGADETHの「Rust In Peace」、4位:GAMMA RAYの「Heading For Tomorrow」、5位:DEEP PURPLEの「Slaves And Masters」と、まあ納得の名盤が並びますねw)
それでも、当時、ブルースが(自身が初参加した3rdアルバム)「The Number Of The Beastに近いアルバム」と評しているように、初期のメイデンの持ち味であったスピード感、攻撃性を取り戻した「原点回帰の作品」といった印象で、ライブ映えのする曲が多く収録されています!
比較的最近メイデンを知った人達にも本作の人気はイマイチのような気がしますが😅 英国では第1位を記録して当時のライブでも大人気だった「Bring Your Daughter...To The Slaughter」や(もともとはブルースのソロ曲のカバー)、これまたライブでも人気だった「Tailgunner」や「Holy Smoke」、まさに「秋に聴きたい」メロウな「No Prayer For The Dying」など名曲が多く収められているので、まだ聴いたことのない人にはゼヒ聴いて欲しい!
「秋に聴きたい曲」といえば、抒情的な作風に定評があるデイブ・マーレーの「Public Enema Number One」や「Fates Warning」(ブルースやスティーブとの共作)も個人的ツボ曲で、(「肩すかし感があった」と言ったけれどw)なんだかんだいってヘビロテした作品ですね!
自分は前年の89年春に神奈川県の企業に就職して、本作リリース時は入社2年目でしたが、この年はめちゃめちゃ仕事が忙しかった一年でした😵😫
(もう「死事」と呼んでしまおうw)
まだまだ仕事に慣れていなかったこともありますが、同じグループで頼りになる女性が6月に退職し、7月にはグループリーダー(男性)が入院して戦線離脱したものの年度末まで人員の補充はなし😑
このため、この年(年度)の平均残業時間は70時間を超えていたと思う😵😫
特に6月、7月はカンペキに100時間を超えていたと思われ、休日出勤も多くライブなど遊びに行く余裕はもちろん、CDを聴く余裕すらない毎日でしたが😫9月~10月は比較的仕事が落ちついていたので、ほぼ隔週ペースで週末に札幌の実家に帰っていました😅
この年は残業代で潤っていたし、社員寮住まいのため住宅費・光熱費は微々たるものだったので、月2回ペースで東京~札幌を往復できたし、そういえば帰省しない週末も都内や横浜のビジネスホテルに泊まったこともあったなぁw
(というのは、この年の寮の部屋がなんと約3畳間という狭さで、常時足の踏み場もない状態だったことと、エアコンもなくて真夏は耐えられなかったので)
多少仕事が落ち着いていたとはいっても、近くならないと休日出勤する必要があるかがわからなかったため、たいがいは近くなってから航空券を手配していたので、飛行機代も安くはなかったと思いますが😅そんな“贅沢”が可能なくらい、残業代を稼げていたということですね😁
(ある時など、当初休日出勤の可能性もあったため飛行機の手配もしていなかった週末に急遽帰省することにして、会社から(スーツ姿でビジネスバックを持ってw)そのまま羽田空港に向かって(その場で航空券を購入し)帰ったこともあったw)
身の上話が長くなってしまいましたが😅😓「No Prayer~」アルバムがリリースされた10月は2回札幌に帰省したと思われ、実家にはまだ学生時代に乗っていた車もあったので(大学生になった弟が乗っていた)、週末は本作を聴きながら魚釣りをかねて支笏湖やニセコ方面にドライブしたのだったと思います🚙🎶
(当時の車内ではまだCDからダビング(コピー)したカセットテープを聴いていましたがw)
確かまだ紅葉が始まる前の10月上旬は支笏湖に行って、紅葉真っ盛りの10月中旬にはニセコ方面に行ってきたのだと思いますが、特に「No Prayer For The Dying」、「Public Enema Number One」、「Fates Warning」といったメロウな曲調の収録曲を聴くと、ニセコの紅葉の鮮やかさを思い出しますね😌
こちらの写真↓は去年の秋に行った京極町の吹き出し公園ですが、90年の秋にも立ち寄ったのだと思いますw
ニセコ方面の紅葉の鮮やかさが、関東の紅葉とはまるで違うことがこの時は印象的だった記憶があるなぁ😌
翌91年の3月には本作のレコ発ツアーで来日公演が実現して、自分も初日のNHKホール公演に参戦!
「The Number of the Beast」ツアー(The Beast on the Road)で札幌にも来てくれた1982年以来でメイデンのライブを体験できたことはよかったのですが、この時は平日(木曜日)でしたが、年度末の超多忙な時期だったので💦ライブ終演後には即会社に戻り、朝の3時頃まで“死事”をした悲しい思い出が😥
翌日もNHKホール公演があり、2日間ともチケットを買っていたのですが、2日目は(たしか送別会があったこともあり)泣く泣く断念😭
翌週の4月1日には大宮公演が、2日には横浜公演がありましたが、新年度スタートと年度末業務が重なるスーパー多忙な時期ゆえ(土日とも休日出勤して、なんとか翌月曜日の新年度スタートに帳尻をあわせた状況)とても観にいける状況ではなく、これまた断念しました😥
(大宮と横浜はチケットを買っていませんでしたがw)
まあ、本来は初日もライブを観に行ける状況ではなかったので、1日だけでもライブを観れたことはよかったし、ライブ中は死事のことは忘れステージを楽しみましたが、会場を出た途端にライブの余韻が吹っ飛んでしまった気がして、自分が参戦したすべてのメイデンのライブの中で一番記憶が朧気かもしれないですね😑
そんな印象のうすいこの時の日本公演の中で、特に印象に残っていることといえば、それまで(「The Number of the Beast」ツアーや、ビデオで観た「Powerslave」ツアー、「Seventh Son Of A Seventh Son」ツアーでは)ステージでは比較的おとなしい印象だったデイブ・マーレーが、運動量の多いヤニック・ガーズに触発されたかのように激しく動いていたことで、ビデオでしか観たことがないポール・ディアノ在籍時に戻ったかのようでした!
そして、自分は初めてナマで見たヤニック・ガーズの運動量にもビックリ😲
会場でナマのステージを観たのはこの時が初めてでしたが、その激しい動きには目を見張りました😆
この日が日本ツアーの初日だったということもあったと思いますが、きっと全公演とも手抜きなく動きまくり弾きまくっていたのだろうなw
あと、この時は「Seventh Son~」ツアーまでに比べるとシンプルなステージでしたが、演奏曲にあわせて次々と変わるバックドロップが印象的でした!
演奏曲が収録されたアルバムのカバーアートが巨大なバックドロップとして使われましたが、そういえば本作「No Prayer for the Dying」を最後に、デビューアルバム以来、メイデンの作品のカバーアートを担当していた(イギリスのイラストレーター)デレグ・リッグスが離れることになり、彼が描いた作品を眺めながらライブを楽しめたことは貴重だったな😌
ちなみに、スクリーンに画像を映し出すのではなく、あらかじめ重ねて吊っていた布のバックドロップを(前の布を外して)変えていくという手の込んだもので、スタッフのチームワークのよさにも目を見張りましたね!
続いてThe X Factor
10枚目のアルバムで1995年10月25日に発売されました!
「The X Factor」というアルバムタイトルは、“X”がローマ数字の“10”であることからもつけられたそう。
本作よりボーカリストがブルース・ディッキンソンから元WOLFSBANEのブレイズ・ベイリーに交代。
アルバムの1曲目がいきなり11分を超える「Sign Of The Cross」で、このほかにも 「Fortunes Of War」、「Blood On The World's Hands」、「The Unbeliever」といった、映画音楽を思わせるようなスティーブ作の大作が本作の“トーン”を決定づけている印象!
また、ヤニックやブレイズとの共作である「Lord Of The Flies」、「Look For The Truth」、「The Aftermath」「The Edge Of Darkness」といった曲も(これまた長い曲が多くw)スティーブ色が色濃く出ているように思え、まるでスティーブのソロアルバムのように思えますw
コンセプトアルバムではありませんでしたが、アルバムとしての完成度の高さでは、スティーブに「コレを超える作品はもう作れないかも」といわしめた「Seventh Son Of A Seventh Son」に迫る作品かもしれないと個人的には思っています!
しかし、それに同意してくれる人にこれまで会ったことがなくて😅自分自身も強く主張できないのは、ブレイズの歌唱が各楽曲の魅力を最大限に引き出しているとは思えなかったからでは🤔
ブレイズの加入を知って、遅ればせながらWOLFSBANEのアルバムを聴いてみたところなかなか好印象で😀ボーカリストの交代にそれほど不安要素を感じていなかった自分も、初めて本作でのブレイズの歌声を聴いた時は、なんともビミョーな印象でしたね😅
なんというか、一部の歌いまわしが間が抜けた感じに思えてしまって😅
(たとえば、「Fortunes Of War」の“Fortunes Of War”の言い回しとか、「Judgement Of Heaven」の“Year Year!”とかw)
ついでながら言うと、JUDAS PRIESTもロブ・ハルフォードが一度脱退して、翌96年に新ボーカリストのティム“リッパー”オーウェンズを迎えて制作した13thアルバム「Jugulator」がこれまた個人的にはビミョーな作品に思えてしまいました😞
メイデンは作品のクオリティ自体は従来に劣らぬレベルを保っていたものの、ボーカルが曲にあっているとは思えず少々ガッカリな印象で、一方のジューダスは前任者と違和感ない優秀な新ボーカリストを獲得したものの、新作をヘヴィでダークな作風に振り切ったことでやっぱりガッカリさせられたことは、この時期を印象づける出来事だったなぁ😑
90年代中期といえば、オルタナティブやグランジが流行り、国内・国外ともに自分が学生時代(80年代)に推していたバンドが解散あるいはメンバーチェンジにより失速するなどヘビィメタルの停滞期ともいえる時期で、その時期にヘビィメタルの象徴といえる存在のジューダスとメイデンがそれぞれボーカリストを交代して制作した第一弾アルバムが、ともに少々ガッカリな印象だったことは、メタル衰退期の象徴とも思えてしまったのですよね😞
と、ここまでメイデン、ジューダスともに当時の体制を貶めるような感想を書いてしまいましたが、両バンドとも、当時の日本公演を観た時は圧巻の内容で、両バンドに謝りたい気持ちになりました🙇♂️😓😅
「The X Factor」リリース時の日本公演(翌96年4月)は、残念ながら観れませんでしたが、次作「Virtual XI」の来日公演(98年11月)を観にいった時は、ブレイズの歌やパフォーマンスもとても好印象でした!
(「Virtual XI」では、よりブレイズに向いた曲が多く収録されたこともあったと思いますが)
スティーブがブレイズを「メイデンのボーカリストとして最適任」と評した時は、正直「なに言っちゃってるの😲😑」と思った自分も、この時は「スティーブが言ったとおりかも」と思ってしまいましたね😅
ここでまた、本作リリース時の個人的思い出をw
本作がリリースされた1995年の自分は、福島県の会津若松市で暮らしていましたが(1992年の春に転勤)、「The X Factor」リリースの1ヵ月ほど前に失恋して、アルバムをゲットした頃は落ち葉が舞う季節期だったこともあり、本作を聴くとどっぷり暗かったこの時のハートブレイカー時代を思い出してしまいますね😑😅
こちらは3年前の秋に会津若松に訪れた時の鶴ヶ城ですが、当時はしばらく周囲の風景がこのように↑グレ-に見えていた記憶が😅
(「人間って悲しいことがあると、周囲の風景が暗く見えることがあるのだな」と思いましたよw)
全体的にダークな作風で歌詞もまた暗い内容が多く、ジャケットのアートワークも最悪なくらい暗いのでw 本作を聴くと、どよよ~んと陰鬱なハートブレイカーだった当時の自分の惨めな気持ちが増幅されるように思えてしまいましたね😑😅
一方で、本作の作風が当時の自分の気持ちにシンクロするように思え、ある種の“心地よさ”も感じていました😌
音楽療法で、患者の気分とリズムに合わせた音楽を使用する「同調の原理」という手法があるそうですが、この時の自分がまさにコレで、当時は本作を聴いていると癒されたことを思い出しますw
暖かい時期の休日は、魚釣りや自転車など(時にはテニスなどもw)で朝からアクティブに動き回っていた自分も、秋が深まり寒さが増してくると(さらに精神も病んでw)、休日はなかなかベッドから出られないことも多かったですが、そんな布団の中でまどろんでいる時に似た“心地よさ”が、本作には感じられるかも😌😅
特に「Look For The Truth」や「2 A.M.」はブレイズの歌声に癒されるw
(ブルースだと、ここまでの“癒し効果”は感じられなかったのではw)
当時は、車で30分も走るといい温泉があちこちにある恵まれた環境にいたので、この年の晩秋は、昼間から露天風呂に浸かって紅葉に染まる山々を眺めてまったりしていたことが多かったので、本作を聴くとこの秋の会津の風景を思い出します😌
こちらは3年前の秋に訪れた時の磐梯山🏔
この時は10月の中旬だったので、まだ紅葉は始まっていませんでしたがw
本作は、悲しい思い出もあった95年秋の会津若松の風景と強く結びついていたので、その後川崎に転勤してからしばらくの間は、同じ時期でも福島県以外の地で聴いてもあまりピンとくることはなかったのですが、5年前に札幌に転居してからは、この時期に本作を聴きながらドライブすると、新鮮な気持ちで本作を楽しめているように思うのでよい傾向だなw
本作がリリースされて来年で30年ですが😵北海道でも本作と結びつく新しい思い出を作っていけたらいいなぁと思っています😌
それにしても30年かぁ😲
だからといって「The X Factor」収録曲を中心としたツアーなんてやらないだろうなあ😅
次回は2000年代の作品「Dance of Death」と「A Matter of Life and Death」について、個人的思い出とともに呟こうと思いますw





