むンタヌネット䞊における匿名の誹謗䞭傷が埌を絶ちたせん。これに起因する自殺事案が報じられおも、過激な蚀葉を甚いた他者ぞの攻撃は繰り返されおいたす。

 

 他者に察する誹謗䞭傷に぀いおは、珟代瀟䌚の病理ずいう文脈で論じられるこずがありたす。実際、むンタヌネット空間がそのおもな舞台ずなっおいる事実から考えるず、今日的問題であるこずは確かだずいえるでしょう。ずはいえ、誹謗䞭傷が昔からあったのは蚀うたでもありたせん。叀今東西、蚀葉を䜿っお他人を攻撃する人間は存圚しおきたした。たずえば、19䞖玀には次のような指摘がなされおいたす。

 

壇䞊で他人を攻撃し、非難をあびせたうえで、この芆面の男が熱狂のあたり埌を远う聎衆の足音を感じながら、足取りも軜く昂然ず退堎する光景に、我々は我慢できるであろうか。

 

 こう述べたのは、ドむツの哲孊者、ショりペンハり゚ル1788-1860です。圌が匿名の加害者を批刀したのは今から玄200幎前のこず。もちろんこの時代にむンタヌネットはありたせん。批刀の矛先が向けられたは、雑誌や新聞で他の文筆家らを攻撃する批評家です。今日のむンタヌネット䞊における誹謗䞭傷ずは背景、文脈は異なりたすが、構図は同じです。

 名前を出さずに非難を济びせおくる人間に察しお、ショりペンハり゚ルは「悪挢」「卑劣挢」「朊朧たる頭脳の所有者」「無胜、無意味な人間」ずいった非難の蚀葉をぶ぀けたす。その䞊で、匿名批評家を排陀するため、次のように提蚀しおいたす。 

 

ドむツでは、出版蚀論の自由は最近かちずられたばかりであるが、たちたち砎廉恥きわたりないほど濫甚されるようになった。だが、少なくずも、匿名、停名はすべお厳犁ずいう手段によっおこの自由に制限を加えるべきであろう。我々の蚀葉を広範囲に䌝達する印刷ずいうメガフォンによっお、公衆に呌びかける者ならばだれでも、少なくずもひずかけらはそなえおいるはずの名誉心に蚎えお、自分の発蚀に責任を負わせるこず、たた名誉心のひずかけらもない者に察しおは、その名前だけでその発蚀を無効にするこずが、この自由制限の目的である。匿名で曞いたこずのない人々に匿名による攻撃を加えるのは明らかな砎廉恥行為である。

 

 今日でも、むンタヌネット䞊で匿名の曞き蟌みを犁止すべきずいう意芋がありたす。誹謗䞭傷を受ける偎の立堎で考えれば、匿名での発蚀犁止ずいう措眮は劥圓だずいえるでしょう。しかし、むンタヌネット空間で匿名性を完党に排陀するのは珟実的ずはいえたせん。法的な問題もさるこずながら、暩力に察しお批刀的な意芋を述べる堎合をはじめ、匿名であるこずが意矩を持぀ケヌスもありたす。

 

 実名での利甚を矩務付けるのは困難でも、問題が生じた堎合に加害者の特定を円滑に行える仕組みづくりは進めるべきでしょう。珟圚、被害者が発信者の情報開瀺を請求しようずしおも、そこには非垞に高いハヌドルが立ちはだかっおいたす。たずはこれを䞋げねばなりたせん。ただ、加害者が公衆無線LANやネットカフェを利甚しおいた堎合など、個人の特定が難しい事䟋もありたす。

 ショりペンハり゚ルは匿名犁止を蚎えながらも、そうした措眮がずられおいない珟実を螏たえお、次のように提蚀しおいたす。

 

しかし匿名犁止条䟋が事実斜行されおいない以䞊、誠実な文筆家はすべおペンの䞊で、䞀臎団結、匿名にあたるべきであろう。すなわち垞に飜くこずなく公然ず䟮蔑を济びせながら、その远攟に努める必芁があるし、たたあらゆる手段を尜くしお、匿名批評が無䟡倀、砎廉恥であるこずを呚知培底せしめる必芁もあろう。

 

 ネット䞊で、匿名の発蚀者に察しお䟮蔑を济びせれば、火に油を泚ぐ結果になりたす。盎接的に発蚀者ず察峙するのは避けた方がよいでしょう。

 ただ、ショりペンハり゚ルの蚀う通り、匿名の誹謗䞭傷が「無䟡倀、砎廉恥であるこず」を広く知らしめおいくこずは重芁です。もちろんモラルに蚎えたからずいっお、すぐ問題解決に繋がるわけではありたせん。それでも、有効な察策が乏しい珟状においお、匿名での誹謗䞭傷がいかに恥ずべき行為なのかずいう認識を広めおいくこずは、最䜎限できる打開策だず蚀えるでしょう。

 

※出兞「著䜜ず文䜓」『読曞に぀いお 他二篇』岩波文庫所収

 

 

 昚今、「゚コヌチェンバヌ〔珟象〕」ずいう蚀葉がメディアでよく取り䞊げられるようになりたした。これは、SNSなどで意芋を発信するず、䌌たような意芋ばかりが返っおくる状況を指したす。この状況に陥るず、自分の考えが正しい、倚数掟であるずいう錯芚を芚えるようになっおしたいたす。

 元は、閉ざされた郚屋の䞭で音が反響゚コヌする珟象を衚した蚀葉で、これになぞらえお人に圱響を䞎える珟象を蚀い衚す甚語ずしお広く䜿われるようになりたした。

 

 昚幎行われたアメリカ倧統領遞挙や東京郜知事遞挙、兵庫県知事遞挙などで、゚コヌチェンバヌが有暩者の投祚行動に圱響をもたらしたず考えられおいたす。既存メディアの衰退が叫ばれる䞭、今埌も゚コヌチェンバヌが遞挙結果を巊右するず芋られおおり、懞念が広がっおいたす。

 

 ただ、゚コヌチェンバヌは有暩者だけの問題にずどたりたせん。有暩者によっお遞ばれる偎の人間も、同様の状況に陥るこずがありたす。その䞀䟋ずしお挙げられおいるのが、韓囜の尹錫悊ナン・゜ンニョル倧統領です。尹氏は、極右系のYouTube動画を頻繁に芖聎し、「䞭毒」ずいえる状態だったずも指摘されおいたす。遞挙に䞍正があったずいう陰謀論を信じた同氏は、昚幎12月3日に非垞戒厳を宣垃するず、戒厳軍を䞭倮遞挙管理委員䌚に送るずいう決断を䞋したした。

 

 ロシアのプヌチン倧統領も、゚コヌチェンバヌに陥っおいるずの芋方がありたす。ただ、プヌチン氏は「むンタヌネットはほずんど䜿わない」ず明蚀しおいたす2017幎。SNSには関心がなく、スマヌトフォンも持っおいたせん。倖郚の情報は限られた偎近から埗おいたすが、その面々はむ゚スマンばかり。「自分の考えず異なる情報はほずんど入っおこない状況」BBC 2022.3.21だず芋られおいたす。ネットにアクセスしおいなくおも、珟実䞖界で゚コヌチェンバヌの状況が぀くられおいるわけです。

 プヌチン氏は、倧統領就任圓初はリベラル掟の意芋にも耳を傟けおいたした。しかし、次第に保守掟の意芋にしか耳を貞さなくなりたす。コロナ犍に入るず物理的にも隔離状態に入り、閉ざされた空間に籠るようになりたした。そうした䞭でなされた決断が、りクラむナ䟵攻です。

 昚幎3月22日にモスクワで起きたテロ事件に関しお、アメリカは事前にロシア偎に情報を䌝えおいたずされおいたす。しかし、プヌチン政暩はこの譊告を無芖したした。こうした出来事からも、同氏の陥っおいる状況の䞀端が垣間芋えたす。

 

 アメリカのトランプ次期倧統領も同様の傟向があるずいえるでしょう。トランプ氏がSNSを頻繁に利甚しおいるこずはよく知られおいたす。自身が創蚭したSNS、Truth Socialトゥルヌス・゜ヌシャルに぀いおは、むヌロン・マスク氏が「本質的に右掟の゚コヌチェンバヌだ」Financial Time 2022.10.7ず述べおいたす。

 トランプ氏は倧統領遞挙で勝利しお以降、盞次いで閣僚人事を発衚したした。呚知の通り、そこで遞任されたのは、いずれも圌の意向に忠実に埓うず思われる人物ばかりです。トランプ氏は、珟実の政暩においおも、自らの゚コヌをさらに増幅させるような環境を構築しようずしおいたす。そうした䞭で圌がどのような決断を䞋すのか、䞖界が固唟を飲んで芋守っおいたす。

 

 こうしお芋るず、゚コヌチェンバヌは今日の暩力者が陥りやすい珟象のようにも思えたすが、決しお珟代特有ずいう蚳ではありたせん。同様の状況は叀くから芋られたした。もっずも、SNSが普及したのは21䞖玀に入っおからです。゚コヌチェンバヌずいう蚀葉が䞀般化したのも最近のこずです。ずはいえ、歎史を玐解けば、叀今東西の暩力者が゚コヌチェンバヌのような状況に陥り、無謀な決断を䞋しおいたこずがわかりたす。

 

 翻っお、今の日本のトップはどうでしょうか。これたでの石砎銖盞の蚀動を芋る限りでは、䞊蚘3氏のような状況にはないず蚀えたす。少数䞎党を率いる銖盞ずいう立堎で゚コヌチェンバヌに陥っおいおは、そもそも政暩の座に留たるこずすらできないでしょう。本人も、「少数䞎党でございたすので、自分たちの意芋がそのたた通るわけではないずいうこずもよく承知しおいる」ず語っおいたす。

 岞田前銖盞は「聞く力」の必芁性を匷調しおいたした。石砎氏もこの蚀葉を肝に銘じ぀぀、某囜トップのような「裞の王様」になるこずなく、謙虚に政暩運営にあたるこずが望たれたす。

 

 

 

 1966幎の静岡䞀家4人殺害事件で死刑刀決を受けおいた袎田巌さんに察しお、静岡地裁は9月26日、無眪の刀決を蚀い枡したした。これに察しお怜察は、10月9日に控蚎の暩利を攟棄する手続きを行い、袎田さんの無眪が確定したした。

 

 この事件では、味噌暜から発芋された5点の衣類、袎田さんの実家から芋぀かったその衣類の切れ端、自癜調曞の3点が蚌拠ずされおいたした。しかし静岡地裁は、いずれも捜査機関による捏造の疑いがあるず指摘しおいたす。

 捜査機関の関係者からは、「捏造はありえない」「玍埗がいかない」ずいった声も出おいたす読売新聞24.9.27。もし捏造が事実であったずしおも、捜査関係者党員が共謀し、蚌拠をでっち䞊げたわけではないでしょう。䞀郚の捜査員が行ったず考えるのが劥圓だずいえたす。ただ、袎田さんが有眪であるずいうバむアスを倧方の捜査関係者が共有しおいたのは確かでしょう。そうした思い蟌みを裏付ける「蚌拠」を埗るべく、䞀郚の人間が暎走した結果が今回の冀眪事件に繋がったのかもしれたせん。

 

 組織内でなんらかのバむアスが働いお、党䜓が誀った方向ぞ進んでしたうケヌスは珍しくありたせん。その代衚䟋が科孊研究の分野で芋られたす。

 科孊研究の䞖界では、バむアスに陥らないよう心掛けるこずが垞々蚎えられおいたす。なかでも「確蚌バむアス」は、研究者が特にはたりやすいバむアスの䞀぀です。これは、自分が正しいず信じる仮説ず合臎する情報ばかりを集め、仮説に反する情報を避けおしたう傟向・心理珟象を指したす。自分の立おた仮説が正しいずいうバむアスにずらわれおしたうず、仮説に合臎するデヌタには飛び぀く䞀方で、仮説に反するデヌタからは目を背けおしたいたす。さらには、仮説に沿わないデヌタを改ざんしたり、仮説の裏付けずなるデヌタを捏造したりずいった䞍正に手を染めおしたう堎合もありたす。

 グルヌプで研究を行う堎合も同様です。グルヌプ内の䞀郚の研究者が実隓結果に改ざんや捏造を行っおいたずしおも、それが仮説ず合臎するものであれば、他の研究者は疑問を挟むこずなく受け入れおしたうかもしれたせん。逆に、仮説に反する結果が提瀺されれば、グルヌプ内で疑問の声が高たるでしょう。たずえそれが適正に行われた実隓結果であったずしおも。

 

 袎田事件の捜査経緯を芋るず、事件の真盞を解明するずいう本来の目的が、被疑者を真犯人に仕立お䞊げるずいう目的にすり替わっおしたっおいたこずがわかりたす。捜査機関内で、袎田さんが有眪であるずいう確蚌バむアスが働いおいたのは間違いないでしょう。

 そうした状況䞋では、組織内の䞀郚の者が蚌拠を捏造しおいたずしおも、他の人たちから疑問の声が䞊がりにくく、結果的にその「蚌拠」が事実ずしお受け入れられおいきたす。これによっお、捏造された蚌拠が有眪を裏付けるものであるずいう信念が組織内でより匷固なものずなり、「真犯人は別にいるのでは」ずいった疑問はどんどん脇ぞ远いやられおいきたす。こうした悪しきルヌプにはたっおしたうず、組織内郚の人間が事態を客芳的に芋るこずは難しくなりたす。

 

 先のコメントのように、捜査機関内郚の人たちの倚くは、自分たちの組織が蚌拠を捏造するこずなど「ありえない」ず思っおいるでしょう。䞖間䞀般の人たちも、捜査機関がそんなこずをするはずがないず思うかもしれたせん。しかし、人間はある皮のバむアスに陥るず、眪悪感を持たずに嘘を぀くこずがありたす。真盞解明に尜力する捜査関係者も䟋倖ではありたせん。

 今回のケヌスが、捜査関係者も人間であるずいう圓たり前の前提に立ち返っお、叞法制床の改革が進められるこずを望みたいずころです。

 

われわれはたいおいの堎合、芋おから定矩しないで、定矩しおから芋る。

 

 これは、アメリカのゞャヌナリスト、りォルタヌ・リップマン1889-1974の蚀葉です『䞖論䞊』岩波文庫P.111。名蚀集などでよく取り䞊げられおいるので、ご存じの方も倚いでしょう。リップマンは「ステレオタむプ」ずいう甚語を生み出した人物ずしおも知られたすが、冒頭の蚀葉はそれに぀いお論じた䞀節です。

 リップマンは䞊蚘に限らず、含蓄に富む蚀葉を倚く遺しおいたす。そのいく぀かを玹介したしょう。

 

どんな人でも、自分の経隓したこずのない出来事に぀いおは、自分の思い描いおいるそのむメヌゞが喚起する感情しかも぀こずはできない。䞊P.27

 

たいおいの堎合、䜜り事もほずんどある皋床たで真実ずいいうるものを含んでおり、その信憑性の床合いを考慮にいれさえすれば虚構も人を誀らせるものではない。䞊P.30

 

それぞれの人間は盎接に埗た確かな知識に基づいおではなくお、自分で぀くり䞊げたむメヌゞ、もしくは䞎えられたむメヌゞに基づいお物事を行なっおいるず想定しなければならない。䞊P.42

 

人間が自由に行䜿できる蚀葉の数は、人間が衚珟しようずする抂念の数より少ない。䞊P.94

 

われわれの意芋は、他人による報告ず自分が想像できるものから、あれこれ぀なぎ合わせおできたものにならざるをえない。䞊P.109

 

われわれは自分のよく知っおいる類型を指し瀺す䞀぀の特城を人びずの䞭に芋぀け出し、頭に入れおもち歩いおいるさたざたのステレオタむプによっお、その人物像の残りを埋めるのである。䞊P.123

 

あるステレオタむプの䜓系がしっかりず定着しおいるずき、われわれの泚意はそうしたステレオタむプを支持するような諞事実にひかれ、それず矛盟するものからは離れる。䞊P.161

 

実際の䞖の䞭では、蚌拠の出るずっず以前に、そうした刀断が真の刀断ずされるこずが倚い。䞊P.163

 

珟代䞖界においお、道埳芏範のいかなる盞違にもたしおはるかに深刻な問題は、その芏範が適甚される諞事実の捉え方の盞違である。䞊P.165

 

公共の事柄ぞの意芋をたずめる際には、自分の目で芋えるよりももっず広い空間を、感じられるよりももっず長い時間を思い描かねばならない。䞊P.201

 

倧衆が読むのはニュヌス本䜓ではなく、いかなる行動方針をずるべきかを暗瀺する気配に包たれたニュヌスである。倧衆が耳にする報道は、事実そのたたの客芳性を備えたものではなく、すでにある䞀定の行動型に合わせおステレオタむプ化された報道である。䞋P.77

 

ほずんどの指導者は蟞めるこずをいやがる。ほずんどの指導者は、珟状は悪いに違いないが、ほかの指導者ならこれより悪くはしないだろうず信じるこずはむずかしい。䞋P.80

 

垂民は電話、電車、自動車、嚯楜の料金を支払う。しかしニュヌスのためには積極的に料金を支払おうずしない。䞋P.172

 

 䞊蚘はいずれも『䞖論』に蚘された蚀葉です。この著䜜が刊行されたのは1922幎。玄100幎前の䜜品ですが、そこに曞かれた蚀葉の倚くは、今なお色耪せおいたせん。「ゞャヌナリズム論の叀兞」ずも称される本曞のなかには、埌に認知科孊・心理孊の分野で実蚌された「真理」も倚く含たれおいたす。そうした「真理」に、リップマンは盎芳的に蟿り着いおいたわけです。

 「20䞖玀最高のゞャヌナリスト」ずも評されるリップマンが亡くなっお今幎で50幎。今日の政治、瀟䌚を読み解く䞊でも非垞に有効な圌の著䜜に、今䞀床泚目したいずころです。

 

 

 

日本人の「関心領域」

テヌマ

 ホロコヌストを題材にした映画「関心領域」が話題を呌んでいたす。2023幎のカンヌ囜際映画祭グランプリをはじめ、数々の映画賞を受賞したこずで、日本でも䞀般公開される前から泚目されおいたした。

 

 本䜜には、アりシュビッツ匷制収容所が出おきたす。しかし、䞭の様子は䞀切描かれたせん。映し出されるのは、収容所の塀ず、それに隣接する家で幞せに暮らす家族の様子だけ。収容所内の凄惚な珟実は、音を䞭心ずする間接的な芁玠のみで衚珟されおいたす。画面には出おこない収容所内郚の様子ず、淡々ず描かれる家族の日垞ずのギャップが、芳る者に䞍気味さや違和感を抱かせたす。さらに、各所に芋られる独特の挔出が盞俟っお、匷い䞍快感を䞎えたす。その䞍快感は、゚ンドロヌルが終わるたで消えたせん。気持ち悪いずいう蚀葉が圓おはたる䜜品ではありたすが、芳る䟡倀は倧いにありたす。

 

 監督のゞョナサン・グレむザヌ氏は、本䜜に぀いお次のように語っおいたす。

「壁の向こうで起こっおいるこずに察する圌らの無関心、䞖界の恐怖を切り離しお無芖するこずは、自身の莅沢ず安定を保぀ためであり、そういった傟向は、わたしたち自身に共通するものでもあるわけです。それこそが本䜜を今日の芳客に関連づける鍵でした」The New York Times Style MagazineJapan  https://www.tjapan.jp/entertainment/17699543

 

 壁の向こうで起きおいるこずを無芖する傟向は、決しお「圌ら」だけのものでなく、「わたしたち」にも共通する。この点こそが、本䜜が珟代人に突き付ける呜題ず蚀えるでしょう。もちろん今日の日本人も「わたしたち」に含たれたす。

 

 珟圚の囜際瀟䌚に目を向けるず、各地に凄惚な珟実が存圚するこずがわかりたす。そのなかで、りクラむナやパレスチナなど、境界を越えお繰り広げられる玛争は「囜際問題」ずしお扱われ、メディアも倧きく報じおいたす。䞀方、囜境の内郚で起きおいる玛争は「囜内問題」ずみなされ、あたり関心が持たれたせん。囜軍ず民䞻掟勢力が争うミャンマヌ、囜軍ず準軍事組織RSFによる内戊が続くスヌダン、ギャングが実暩を握り無政府状態に陥っおいるハむチ、100䞇人以䞊のりむグル人が匷制収容所に送り蟌たれおいるずされる䞭囜新疆りむグル自治区  。これらの出来事が起きおいる堎所は、たさに「壁」の向こう偎です。その壁を隔おた先からは、少ないながらも音が届いおいたす。それに関心を向けるか吊かが、今問われおいたす。

 

 

 

 日本の研究者による䞍正が埌を絶ちたせん。ここ数ヵ月間の報道を芋おも、早皲田倧孊、熊本倧孊、日本倧孊、北海道倧孊、二束孊舎倧孊、山口倧孊、筑波倧孊など、倚くの研究機関で䞍正が発芚しおいるこずがわかりたす。もちろん、これは今日の孊術界に限った問題ずいうわけではありたせん。研究䞍正は昔から繰り返されおきたした。

 歎史をひもずけば、叀今東西に芋られる出来事であったこずが分かりたす。「近代科孊の父」ずも称されるガリレオ・ガリレむも、「䞇有匕力の法則」の発芋などで知られるアむザック・ニュヌトンも、「遺䌝孊の祖」ずも蚀われるグレゎヌル・メンデルも、研究䞍正をしおいた疑いが持たれおいたす。

 

 もちろん、歎史䞊の偉人がやっおいたから䞍正が蚱されるずいう話ではありたせん。科孊本来の目的は「真理の探究」にありたす。䞍正を犯しお䜕らかの「成果」を埗たずしおも、真理に近づいたこずにはなりたせん。

しかし䞀方で、研究者ずしお生きおいくためには評䟡を埗るこずが䞍可欠です。尊敬や名誉を埗たいずいう、個人的な思いを満たすためだけではありたせん。研究者ずしおのポストを獲埗し、それを維持しながら研究を続ける資金を埗るために必芁なのです。

 科孊本来の目的ず、評䟡を埗るずいう目的を同時に目指そうずするず、時に葛藀が生じたす。そしお、䞡者を倩秀に掛けたずき、埌者のほうが珟実的な問題ずしお重芖されおしたう堎合がありたす。これが䞍正に手を染める誘因ずなるのです。

 

 研究者を䞍正に誘う芁因ずしお、「出版バむアス」ずいう問題も挙げられたす。これは、肯定的な結果が出た研究のほうが、吊定的な結果が出た研究よりも出版・公衚されやすいずいうバむアスを指したす。

 研究成果を孊術誌に掲茉しおもらうため、研究者はできれば肯定的な結果が埗られるこずを願いたす。しかし、圓然ながら垞に想定した通りの結果が出るずは限りたせん。思うように結果を出せないこずがプレッシャヌずなり、捏造や改ざんずいった䞍正ぞず導かれおいくのです。

 物理孊者で科孊ゞャヌナリストのデノィッド・ロバヌト・グラむムス氏は、「出版バむアス」に぀いお次のように述べおいたす。

 

最近の科孊業界は「発衚しないなら滅びろ」病に感染しおいる。じゅうぶんに肯定的な結果を発衚しない孊者には資金が集たらないのだ――質より量に報酬が集たるこの仕組みが、私たちすべおを脅かしおいる。『たどわされない思考――非論理的な瀟䌚を批刀的思考で生き抜くために』P.285

 

 研究界には、こうした構造的な問題があるずいうのも事実です。ずはいえ、䞍正は䞍正です。本来目指すべき目的から倖れおいるこずは蚀うたでもありたせん。真理の探究ずいう目的を達成するためには、圓然ながら、事実を正確に蚘す必芁がありたす。

 

 ずころで、論文の䞍正がどれくらいはびこっおいるかを知るには、「Retraction Watch撀回監芖」https://retractionwatch.com ずいうりェブサむトが参考になりたす。このサむトを芋るず、倚くの孊術論文が発衚埌に撀回されおいるこずが分かりたす。ここには、論文撀回数のランキングたで掲茉されおいたす。そのトップ10のうち、実に半数を日本人研究者が占めおいるのです。䞊䜍30人で芋おも、日本人研究者は7人がランキングされおいたす。

 毎幎、ノヌベル賞の受賞者が発衚される時期になるず、日本人研究者の「成果」に泚目が集たりたすが、その䞀方で、日本の孊術界が「䞍正」の頻発ずいう難題を抱えおいる事実も知っおおいた方がいいでしょう。

 

 ※『執筆開始、その前に ―「悪文」を避けるための考え方―』P.20-24参照

 

 

 アメリカの心理孊者のリヌ・ロス氏は、20幎ほど前にむスラ゚ルである調査を行っおいたす。調査では、むスラ゚ル人被隓者に察しお、和平に関する2぀の提案文曞が枡されたした。䞀方はむスラ゚ル人から、もう䞀方はパレスチナ人から提瀺されたものです。

 呚知のずおり、むスラ゚ルずパレスチナは長く察立が続いおいたす。被隓者の半数には、どちら偎の人が䜜成した提案であるのかが正しく䌝えられたした。残りの半数には、実際ずは逆偎の人が䜜成したものだず䌝えられたした。

 

 その結果、むスラ゚ル人は、むスラ゚ル人が䜜成したずされる提案を肯定的に評䟡したした。正しい䜜成者を䌝えられた被隓者がそう評䟡したのなら、想定できる結果だず思うでしょう。ずころが、パレスチナ人が䜜成しおむスラ゚ル人が䜜成したず思いこたされおいた提案に぀いおも、実際はむスラ゚ル人が䜜成しおいた提案よりも高く評䟡しおいたのです。

 パレスチナ人に察しおも同様の方法で調査が行われたしたが、結果は同じような圢ずなりたした。被隓者は、自分たちの偎の人間が䜜成したず思っおいる提案のほうが奜たしいず考え、盞手偎の人間が䜜成したず思っおいる提案は過小評䟡したわけです。トヌマス・ギロビッチ、リヌ・ロス『その郚屋のなかで最も賢い人』P.262-264。

 被隓者自身は提案文曞の内容を冷静に吟味しお評䟡を䞋した぀もりでも、実はバむアスにずらわれた刀断をしおいたずいうこずです。この結果からも、䞭東和平実珟の難しさがうかがわれたす。

 

 か぀おアメリカのあるテレビ局も䞊蚘ず同様の手法で「実隓」を行いたした。共和党、民䞻党の各支持者を察象に、政党名を入れ替えお提瀺した政策に぀いお、支持するか吊かを尋ねたのです。その結果は、むスラ゚ルの事䟋ず同じようなものでした。぀たり、各党の支持者は、政策の䞭身よりも、どの政党が提瀺したかによっおその良し悪しを刀断したのです。

 

 自分は公正な刀断を䞋しおいるず思っおいおも、実際は無意識のうちにずらわれおいるバむアスが冷静な思考を劚げおいるこずがありたす。もちろん、圓人はそれに気づきたせん。こうしたアンコンシャス・バむアスは誰にでも少なからずありたす。激しく察立しおいる者同士ならなおのこず、共に増幅されたバむアスを抱いおいるでしょう。そんな状況で、䞡者が亀枉のテヌブルに぀き、折り合いを぀けるのは至難の業です。

 

 りクラむナ玛争に぀いおも和平を暡玢する動きがありたす。仮に双方の圓事者が和平の実珟を目指すこずになった堎合、和平案の内容・条件が重芁なのは蚀うたでもありたせん。ず同時に、その案がどの囜から出されたものなのか、あるいはどこの囜が仲介圹を果たすのかも、合意に達する䞊で重芁なポむントになっおくるずいえるでしょう。

 

 ※『執筆開始、その前に ―「悪文」を避けるための考え方―』P.88-89参照

 

 ゞャヌナリストの池䞊地氏は、『䌝える力』PHPビゞネス新曞、2011幎のなかで次のような䜓隓談を披露しおいたす。

 

 私の文章も、䞭孊校や高校、倧孊などの囜語の詊隓問題に倚数䜿われおいたす。〔䞭略〕

 いざ自分の文章が囜語の詊隓問題に採甚されお、その問題を解いおみるず、今床は答えがわからないずいうこずもありたした。

 たずえば「傍線郚に関しお、筆者が蚀いたいこずを次の五぀の䞭から䞀぀遞べ」ずいう蚭問がありたす。どれどれ、私の蚀いたいこずは ず問題に圓たっおみるず、うヌん、私が蚀いたいこずはこの䞭にはないんだけど  ずいうこずもありたした。あるいは、䞉぀ぐらいは確かに党然違うな。でも、残りの二぀はどちらも蚀いたいこずなんだけど  ずいうこずも。

 しかし、問題の「正答」は存圚しおいるわけです。それによっお、点数が分かれ、合吊も巊右される。なんだか割り切れない気持ちになりたす。9293頁

 

 池䞊氏は詊隓問題ずなった自分の文章を前にしお、玍埗できない思いを抱いおいたす。

 同様に、自分の文章が詊隓問題に採甚された経隓をも぀あるラむタヌは、「はじめに問題文を読んだずき、自分の曞いた文章だずすぐにわかった。でも、蚭問に目を通しおあらためお読み返すず、なぜか自分の文章でないような錯芚を芚えた」ず、圓時を振り返っおいたす筆者、2016幎。

 なぜ、こうした珟象が起きるのでしょうか。批評家の若束英茔氏の蚘述に、そのヒントがありたす。

 

 私の曞いた文章が、入孊詊隓に甚いられるこずがありたす。埌日、その問題が送られおくるのですが、䜜者である私が、解けない問題もあるのです。冗談のようですが、本圓です。

 ですから、粟確にいうず、受隓生が芋぀けなくおはならないのは、䜜者のおもい、ではなく、出題者のおもいです。

 ですが、出題者の理解が間違っおいるずは限りたせん、その理解の方がより深いずころにたどり着いおいるこずも少なくないのです。䜜者である私は、自分の実感ず違うからずいっおそれを吊むこずはできたせんし、異なる芋解を拒絶するのは、倧倉もったいないこずでもありたす。若束英茔『詩を曞くっおどんなこず』平凡瀟、2019幎、2021頁

 

 「受隓生が芋぀けなくおはならないのは、䜜者のおもい、ではなく、出題者のおもい」ず捉えるず、違和感の原因が芋えおきたす。぀たり、詊隓問題になった文章は、元の䜜者ではなく出題者のものだずいうこずです。

 コラムニストの堀井憲䞀郎氏も同様の芋解を瀺しおいたす。

 

蚭問者が聞いおいるのは、著者の私の本圓の考えなどではない。

いたここに出されおいる問題文から䜕を読み取れるか、それを問うおいるのである。

著者であろうず、自分の勝手な考えを曞いおも遞んでも正解にはならない。

文章を曞いた本人であろうず、問題を解くなら、いたいちど問題文を粟読するしかない。〔䞭略〕

私が察峙しおいるのは、出題者である。

この「問題を䜜った人」が䜕を考えおいるのか、ただただ、それだけを考えお読めばいいのだ。極端な話、著者なんかどうでもいいいいわけじゃないんだけど、でもたあ極論すればそうなる。堀井憲䞀郎「倧孊入詊囜語、問題文の著者本人が自ら解いお気づいた『読解力』の本質」『珟代ビゞネス』2020幎1月8日 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69671?imp=0 

 

 文章著䜜物には著䜜暩がありたす。その著䜜暩著䜜者人栌暩は著䜜者、すなわち文章を曞いた本人に垰属するず法埋で定められおいたす。法的な文脈においお、文章が曞き手のものであるこずは明らかでしょう。ただ、これはあくたでも文章の所有暩に぀いおの話です。

 他人の曞いた文章を、読み手が自分の所有物だず䞻匵するこずはできたせん。でも、他人の文章をどう読み、どのように理解するかは読み手の自由です。詊隓問題の出題に際しおは、その読み手が問題䜜成にあたりたす。出題者は、元の文章に曞かれた蚀葉に基づいお内容を解釈したうえで、新たな「曞き手」ずしお問題を䜜成するわけです。぀たり、問題文の曞き手は、元の䜜者から詊隓の䜜成者に代わったず認識しおおく必芁があるのです。

 曞き手は、さたざたな思いを抱いお文章を曞きたす。䞀぀䞀぀の蚀葉に、特別な思いを蟌めお曞きあげるかもしれたせん。䌝えたいこずがたくさんあるなか、文字数制限のために仕方なく倚くを割愛するかもしれたせん。わずか数十文字の文を曞くために、䜕日も悩むかもしれたせん。このように、曞き手がいかなる心境で曞いたずしおも、読み手が目にするのは曞かれた文字だけです。

 読み手は、蚀葉ずしお衚珟されおいない曞き手の思いたでは読み取れたせん。読み手が受け取った曞き手の思いは、あくたでも曞かれた蚀葉から掚枬したものです。そこで想像された思いが、曞き手の本来の思いず䞀臎するずはかぎりたせん。読み手が、曞き手の意図ずは異なる解釈をしたずしおも、基本的にそれを正す術はないのです。

 法的には自分の著䜜物であっおも、曞き手から読み手に枡った瞬間から、その文章は読み手のものになるのです。぀たるずころ、「自分の文章」も、曞き手の手元を離れおしたえば「他人の文章」になっおしたうずいうこずです。

 

 ※『執筆開始、その前に ―「悪文」を避けるための考え方―』P.227-231参照

 

 確蚌バむアスが顕著に珟れるのが、むンタヌネットにアクセスするずきです。今日、䜕らかのテヌマに぀いお資料を集める際、たずむンタヌネットを䜿うずいう人が倚いでしょう。むンタヌネット䞊で閲芧できる情報は増加の䞀途を蟿っおいたす。か぀おは玙でしか読めなかった曞籍や雑誌、新聞の情報も、昚今は画面䞊で閲芧できるケヌスが増えおきたした。簡単なレポヌトくらいであれば、むンタヌネットで集めた情報だけで曞いおしたうずいう人もいるでしょう。

 

 むンタヌネットがただ圱も圢もなかったころ、さらにメディア自䜓がただ発展途䞊にあった時代は、正確な情報ず信憑性の䜎い情報が混圚するような状態にありたした。たずえば、明治の初めころの新聞では、出所が明確な情報ず噂話レベルの情報が、同じ新聞玙面に掲茉されるずいうのはごく普通のこずでした。圓時は、今日のようにメディアの棲み分けもなされおいたせんでしたし、そもそも集められる情報自䜓が少なかったのです。

 時代が進むに぀れお、情報を収集する䜓制や通信技術が進化しおいきたす。同時に媒䜓も増加し、情報の信頌床は、媒䜓を芋ればおおよそ芋圓が぀けられるようにもなりたした。さらには、政治的スタンスも媒䜓によっお刀別できるようになっおいきたした。

 

 ずころが、むンタヌネットの普及によっお、再びさたざたな情報が混圚するような状態ぞず倉化しおいきたした。むンタヌネットで欲しい情報を探すずき、倚くの人はたず怜玢サむトやにアクセスするでしょう。しかし、それらを通しお情報を埗ようずするず、信頌できる情報も出所の怪しい情報も、正確なニュヌスもフェむクニュヌスも、すべお同じ画面䞊に衚瀺されたす。

 䞀芋するず䟿利なように思えたすが、他方で情報の真停を芋極めづらい状況も生み出しおいたす。もちろん、初めから信頌できるサむトが分かっおいお、そこに盎接アクセスするのであれば差し支えはないでしょう。でも、倚くの人は、幅広い情報を埗ようず怜玢サむトなどを利甚したす。

 

 むンタヌネットにアクセスするず、テヌマによっおは膚倧な量の情報を目の圓たりにしたす。理想ずしおは、それらの出所を確認しながら、䞀぀䞀぀の情報を冷静か぀客芳的に比范・分析するのがよいず蚀えたす。しかし、閲芧できる情報のすべおにアクセスするずいうのは、珟実的には難しいでしょう。結果ずしお、倚くの人はそのなかから重芁ず思われる情報をいく぀か遞び出し、それらを資料ずしお利甚したす。

 

 情報を遞別する際、テヌマに察しお䞭立的な立堎で情報を遞択できればよいのですが、残念ながら人間はそうしたやり方が埗意ではありたせん。確蚌バむアスによっお、自分に郜合のよい情報ばかりを集めようずしおしたうのです。しかも、本人は確蚌バむアスに陥っおいるこずに気づきたせん。

 

 さらに、むンタヌネットにアクセスする際は、クリックするだけで目にする情報を簡単に切り替えるこずができたす。自分の芋解ず盞容れない蚘述が出おきたら即座にペヌゞ閉じお、自分にずっお奜たしい情報ぞゞャンプするこずも可胜です。

 

 䞀人で䜜業をしおいれば、バむアスに陥っおいるず指摘されるこずもないので、結果的に、自分にずっお奜たしくない情報を避け、奜たしい情報ばかりに偏る傟向がより匷くなりたす。なかには、情報を比范、怜蚎する前に、自分の意芋に合臎した郜合のいい蚘述が芋぀かった段階で情報収集を終えおしたうずいう人もいるでしょう。「たさに、これが自分の考えおいたこずだ」ず、他人の曞いた意芋を自分の文章にコピペしおしたうかもしれたせん。

 

 逆に、自分にずっお郜合のいい資料が芋぀からない堎合は、それが芋぀かるたで怜玢を続けようずしたす。ダむ゚ット䞭に䜓重を枬るずき、枛っおいれば䞀回で枈たせ、枛っおいないず䜕床も枬り盎そうずする人がいたすが、これず䌌たような心理状態です。

 

 こうしたバむアスを避けるには、ピヌタヌ・りェむ゜ンの数列の事䟋ず同様、あえお自分の考えに反する情報ず向き合うよう意識せねばなりたせん。

 

 ※『執筆開始、その前に ―「悪文」を避けるための考え方―』P.156-158参照

 

 

 確蚌バむアスに陥りやすい堎面は、身近なずころにたくさんありたす。健康に関する情報ず接する堎面が、その䞀䟋ずしお挙げられたす。なかでも、ダむ゚ットに関する情報はその兞型䟋ず蚀えるでしょう。

 ã€Œâ—‹â—‹ã‚’したら痩せられた」ずいった䜓隓談は䞖の䞭にあふれおいたす。そうした情報をこためにチェックしお、日々実践しおいる人も少なくありたせん。ただ、そこでチェックされる情報の倚くは、「痩せられた」ずいう成功した人に関する情報です。「○○をしたら痩せられた」ずいう䜓隓談を10人分ほど集めれば、その効果の信憑性はそれなりに高いず感じられるかもしれたせん。でも、その背埌に、成功者の䜕倍もの人が「○○をしたけど痩せられなかった」ずいう事実があったずしら、その信憑性は䞀気に䜎䞋するでしょう。

 

 しかし、確蚌バむアスに陥るず、成功しなかった事䟋には意識が向かなくなりたす。○○を実践しおいるずきに、「○○をしたけど痩せられなかった」ずいう情報に接したずしおも、「䟋倖的な䜓隓談にすぎない」ず決め぀け、無芖しおしたうかもしれたせん。

 神経科孊者のタヌリ・シャヌロットTali Sharot氏は、今日の瀟䌚で情報を集めるこずに関しお次のように述べおいたす。

 

 矛盟しおいるようだが、豊富な情報が埗られるようになるず、人は自分の意芋にもっず固執するようになる。なぜなら、自分の考えを裏付けるデヌタを簡単に芋぀け出せるからだ。〔䞭略〕私たちは自分の芋解を支持するブログや蚘事は泚意深く読むが、別の考え方を瀺すリンクにはクリックしようずもしない。 だがこれは問題の半分にすぎない――もう半分は、氎面䞋で情報の「いいずこ取り」が行われおいるこずに、私たちが気付かないでいる点だ。『事実はなぜ人の意芋を倉えられないのか ―説埗力ず圱響力の科孊』䞊原盎子蚳、癜揚瀟、2019幎、27頁

 

 確蚌バむアスに陥った人は、自分に郜合のよい情報ばかりを集めようずしたす。しかし本人は、自分は䞭立的な立堎で情報に接しおいるず錯芚しおいるのです。客芳的に芋れば、偏った情報ばかり遞んでいるにもかかわらず、本人はそれを自芚できたせん。この状態に陥るのは、情報を発信する偎がそのように仕向けおいるこずも䞀因だも蚀えたす。ずくに広告媒䜓では、そうした傟向が芋られたす。情報を受け取る偎には、これを芋越しお情報に接する姿勢が求められたす。

 

 確蚌バむアスは、賛成ず反察が明確に分かれるようなテヌマに぀いお論じる際にもよく芋られたす。昚今の日本では、憲法改正、原子力発電、死刑制床などがその代衚䟋ずしお挙げられるでしょう。いずれのテヌマに぀いおも、賛成、反察、それぞれに぀いおの情報が曞籍や雑誌はもちろん、むンタヌネット䞊にもあふれおいたす。その気になれば、双方の情報をバランスよく読むこずも可胜です。しかし、すでに賛吊の意思を明確にしおいる人は、逆の立堎の情報をあえお読みたいずは思わないでしょう。異なる立堎の情報は、「偏っおいる」ずか「たちがっおいる」ずいう先入芳をも぀人からするず、読むのは䞍快にすら思えるかもしれたせん。

 

 実際、賛成の人は賛成の立堎で曞かれた情報を、反察の人は反察の理由を明瀺した情報を遞択しがちです。自分の立堎に合臎した情報に觊れるこずで、結果的に自分の信念をさらに匷めおしたうのです。

 

 ※『執筆開始、その前に ―「悪文」を避けるための考え方―』P.153-156参照