1966年の静岡一家4人殺害事件で死刑判決を受けていた袴田巌さんに対して、静岡地裁は9月26日、無罪の判決を言い渡しました。これに対して検察は、10月9日に控訴の権利を放棄する手続きを行い、袴田さんの無罪が確定しました。
この事件では、味噌樽から発見された5点の衣類、袴田さんの実家から見つかったその衣類の切れ端、自白調書の3点が証拠とされていました。しかし静岡地裁は、いずれも捜査機関による捏造の疑いがあると指摘しています。
捜査機関の関係者からは、「(捏造は)ありえない」「納得がいかない」といった声も出ています(読売新聞24.9.27)。もし捏造が事実であったとしても、捜査関係者全員が共謀し、証拠をでっち上げたわけではないでしょう。一部の捜査員が行ったと考えるのが妥当だといえます。ただ、袴田さんが有罪であるというバイアスを大方の捜査関係者が共有していたのは確かでしょう。そうした思い込みを裏付ける「証拠」を得るべく、一部の人間が暴走した結果が今回の冤罪事件に繋がったのかもしれません。
組織内でなんらかのバイアスが働いて、全体が誤った方向へ進んでしまうケースは珍しくありません。その代表例が科学研究の分野で見られます。
科学研究の世界では、バイアスに陥らないよう心掛けることが常々訴えられています。なかでも「確証バイアス」は、研究者が特にはまりやすいバイアスの一つです。これは、自分が正しいと信じる仮説と合致する情報ばかりを集め、仮説に反する情報を避けてしまう傾向・心理現象を指します。自分の立てた仮説が正しいというバイアスにとらわれてしまうと、仮説に合致するデータには飛びつく一方で、仮説に反するデータからは目を背けてしまいます。さらには、仮説に沿わないデータを改ざんしたり、仮説の裏付けとなるデータを捏造したりといった不正に手を染めてしまう場合もあります。
グループで研究を行う場合も同様です。グループ内の一部の研究者が実験結果に改ざんや捏造を行っていたとしても、それが仮説と合致するものであれば、他の研究者は疑問を挟むことなく受け入れてしまうかもしれません。逆に、仮説に反する結果が提示されれば、グループ内で疑問の声が高まるでしょう。たとえそれが適正に行われた実験結果であったとしても。
袴田事件の捜査経緯を見ると、事件の真相を解明するという本来の目的が、被疑者を真犯人に仕立て上げるという目的にすり替わってしまっていたことがわかります。捜査機関内で、袴田さんが有罪であるという確証バイアスが働いていたのは間違いないでしょう。
そうした状況下では、組織内の一部の者が証拠を捏造していたとしても、他の人たちから疑問の声が上がりにくく、結果的にその「証拠」が事実として受け入れられていきます。これによって、捏造された証拠が有罪を裏付けるものであるという信念が組織内でより強固なものとなり、「真犯人は別にいるのでは?」といった疑問はどんどん脇へ追いやられていきます。こうした悪しきループにはまってしまうと、組織内部の人間が事態を客観的に見ることは難しくなります。
先のコメントのように、捜査機関内部の人たちの多くは、自分たちの組織が証拠を捏造することなど「ありえない」と思っているでしょう。世間一般の人たちも、捜査機関がそんなことをするはずがないと思うかもしれません。しかし、人間はある種のバイアスに陥ると、罪悪感を持たずに嘘をつくことがあります。真相解明に尽力する捜査関係者も例外ではありません。
今回のケースが、捜査関係者も人間であるという当たり前の前提に立ち返って、司法制度の改革が進められることを望みたいところです。