日本の研究者による不正が後を絶ちません。ここ数ヵ月間の報道を見ても、早稲田大学、熊本大学、日本大学、北海道大学、二松学舎大学、山口大学、筑波大学など、多くの研究機関で不正が発覚していることがわかります。もちろん、これは今日の学術界に限った問題というわけではありません。研究不正は昔から繰り返されてきました。

 歴史をひもとけば、古今東西に見られる出来事であったことが分かります。「近代科学の父」とも称されるガリレオ・ガリレイも、「万有引力の法則」の発見などで知られるアイザック・ニュートンも、「遺伝学の祖」とも言われるグレゴール・メンデルも、研究不正をしていた疑いが持たれています。

 

 もちろん、歴史上の偉人がやっていたから不正が許されるという話ではありません。科学本来の目的は「真理の探究」にあります。不正を犯して何らかの「成果」を得たとしても、真理に近づいたことにはなりません。

しかし一方で、研究者として生きていくためには評価を得ることが不可欠です。尊敬や名誉を得たいという、個人的な思いを満たすためだけではありません。研究者としてのポストを獲得し、それを維持しながら研究を続ける資金を得るために必要なのです。

 科学本来の目的と、評価を得るという目的を同時に目指そうとすると、時に葛藤が生じます。そして、両者を天秤に掛けたとき、後者のほうが現実的な問題として重視されてしまう場合があります。これが不正に手を染める誘因となるのです。

 

 研究者を不正に誘う要因として、「出版バイアス」という問題も挙げられます。これは、肯定的な結果が出た研究のほうが、否定的な結果が出た研究よりも出版・公表されやすいというバイアスを指します。

 研究成果を学術誌に掲載してもらうため、研究者はできれば肯定的な結果が得られることを願います。しかし、当然ながら常に想定した通りの結果が出るとは限りません。思うように結果を出せないことがプレッシャーとなり、捏造や改ざんといった不正へと導かれていくのです。

 物理学者で科学ジャーナリストのデヴィッド・ロバート・グライムス氏は、「出版バイアス」について次のように述べています。

 

最近の科学業界は「発表しないなら滅びろ」病に感染している。じゅうぶんに肯定的な結果を発表しない学者には資金が集まらないのだ――質より量に報酬が集まるこの仕組みが、私たちすべてを脅かしている。(『まどわされない思考――非論理的な社会を批判的思考で生き抜くために』P.285)

 

 研究界には、こうした構造的な問題があるというのも事実です。とはいえ、不正は不正です。本来目指すべき目的から外れていることは言うまでもありません。真理の探究という目的を達成するためには、当然ながら、事実を正確に記す必要があります。

 

 ところで、論文の不正がどれくらいはびこっているかを知るには、「Retraction Watch(撤回監視)」https://retractionwatch.com というウェブサイトが参考になります。このサイトを見ると、多くの学術論文が発表後に撤回されていることが分かります。ここには、論文撤回数のランキングまで掲載されています。そのトップ10のうち、実に半数を日本人研究者が占めているのです。上位30人で見ても、日本人研究者は7人がランキングされています。

 毎年、ノーベル賞の受賞者が発表される時期になると、日本人研究者の「成果」に注目が集まりますが、その一方で、日本の学術界が「不正」の頻発という難題を抱えている事実も知っておいた方がいいでしょう。

 

 ※『執筆開始、その前に ―「悪文」を避けるための考え方―』P.20-24参照