皆さま、おはようございます。
一昨日から、奈良に来ています。
歴史の古い土地に来ると、歴史の積み重ねの厚さに、ハッとさせられます。
東大寺の大仏様、奈良時代に創建され、何度か、戦火や地震、落雷などで、仏身や大仏様を取り囲む大仏殿(伽藍)が焼かれたり、頭部が落下したりしています。
鎌倉時代、江戸時代と、再建や再興に立ち上がった上人が現れ、明治時代の大修理を経て、現在に至っています。
古い建造物が、今日、どのような形で残っているかというのは、本当に千差万別で、無事に残っているものは、再建、修理、保存に向けたひとびとのエネルギーの積み重ねなのだと、しみじみ感じます。
残るか、消えるか。それを分けたものは、最初は小さな偶然だったのかもしれません。
鍵穴とカギの関係が脳裏に浮かびました。
鍵穴とカギは、ピタリと合って初めて、カギを開けることができます。
同じように、歴史における様々な偶然と、ひとびとのエネルギーが合わさったとき、そういった偶然は、必然に転化するのでしょう。
今回の旅、一昨日と昨日の2回にわたって、シカによるハプニングがありました。
一昨日は、奈良国立博物館で開催されている空海展に行きました。
ショップで、弘法大師像の絵葉書を購入し、白い紙袋に入れてもらって、トートバッグに入れました。
博物館が閉館し、建物の前にあるベンチに座って、ぼーっと景色を眺めていたら、1頭のシカが近づいて来て、トートバッグから、絵葉書の入った紙袋を見つけてパクっと、口に加えたのです!
そのまま、もぐもぐとかみ始めたので、焦りました。食べられないよ!それを食べるとお腹をこわしてしまう。
絵葉書が厚くて、シカも噛み切れず、ようやく、取り返したのですが、絵葉書の周辺がフニャフニャになっていましたが、弘法大師のお顔は無キズでした。
なんだか、とても愉快な気持ちになって、友人と一緒に大笑いしました。
昨日は、偶然に飛び乗ったバスの終点が、大仏殿の駐車場で、そこで鹿せんべいを買ったところ、たちまちシカに取り囲まれました。
シカに押されて、道ばたの脇にある30センチぐらい下の水路に半身が落ちました。
左手を擦りむいてしまって、手を洗おうと、化粧室を探したら、東大寺のミュージアムにたどり着いたのです。
そこで、東大寺の特集展示「弘法大師と東大寺真言院」に気づいて、そこに入り、奈良国立博物館に続き、圧倒的な仏像と、弘法大師の自筆の著作を目にすることができました。
最初は、ハプニングとして現れる兆しに気づくことが、偶然を必然につなげる大事なコツなのだろうなと思います。
以下のブログに書いたように、この世の中には、無数のパラレルワールドが存在しています。分岐点に来たとき、どの世界を選ぶかによって、偶然が必然になるのか、それとも偶然のまま終わるのか、分かれるのでしょう。
そのとき、やはり重要なのは、偶然を愉しむことなんだと思います。
力んで緊張をすると、エネルギーを無駄に使ってしまい、長続きしません。
大仏さまや大仏殿の再興・再建においても、あれほどの大事業になればこそ、力みでは、やり遂げられなかったのではないでしょうか。
目には見えない、何か大いなる存在にゆだねる気持ちを持ちつつ、精一杯、やれることをやる。
その中で起きる様々な偶然に驚き、愉しむ。
偶然を必然に変える。それは、点として現れる偶然を、線としての必然に紡いでいく作業であり、しなやかに、軽やかに、淡々と続けていくのが、最大のコツなのだろうな…と、改めて感じたのでした。