「その手に触れるまで」無垢であるからこそ、親が守らなければ道を誤ってしまう。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

「その手に触れるまで」を観てきました。

 

ストーリーは、

13歳のアメッドはどこにでもいるゲーム好きな普通の少年だったが、尊敬するイスラム指導者に感化され、次第に過激な思想にのめりこんでいく。やがて学校の先生をイスラムの敵だと考えはじめたアメッドは、先生を抹殺しようと企むが・・・。

というお話です。

 

 
13歳の少年・アメッド。ベルギーに暮らし、つい最近までどこにでもいるゲーム好きな少年だったが、今はイスラム教の聖典であるコーランに夢中。
 
小さな食品店の二階のモスクで導師が行う礼拝に兄と熱心に通っている。放課後クラスのイネス先生との“さよならの握手”を「大人のムスリムは女性に触らない」と拒否した夜、それを聞きつけた母親に叱られる。「イネス先生は識字障害克服の恩人よ。毎晩読み書きと計算を教えに来てくれた」そんな母の言葉にまったく耳を貸さないアメッド。父が家を出て以来、母は毎晩酒を嗜むようになっていた。
 
 
ある日、イネス先生は歌を通じて、日常会話としてのアラビア語を学ぶ“コーランを使った歌の授業”を提案する。コーランを冒とくしたくないという親と、アラビア語が出来る方が仕事の選択肢が増えるという親がおり、保護者の間でも意見が分かれていた。
 
「あの教師は背教者だ。背教者を見つけたらどうする?」と導師に問われ、アメッドは「見つけ次第、排除するべき」と答える。そしてアメッドはイネス先生のアパートを訪れ、ドアを開けて出てきた先生にナイフで襲い掛かるが先生にドアを閉めて逃げられてしまう。行き場を失ったアメッドは導師の元に逃げ込むが、驚いた導師は「自主しろ」と言い、「私が言ったとはいうな」と釘を刺す。
 
 
少年院に入ったアメッドは、更生プログラムをこなし、ある農場作業を手伝うようになる。農場主の娘・ルイーズと知り合い、動物と触れ合い、本当なら心が安らいでいくはずなのに、アメッドは全てが心地悪かった。
 
純粋であろうとすればするほど、誰の言葉も受け入れられなくなっていくアメッドの心。彼の気持ちが変わる日は来るのか。(公式HPより)後は、映画を観てくださいね。

 

この映画、深い映画でした。ベルギーに住んでいるアメッドの家はイスラム教徒で、それまでは普通に暮らしていたのですが、あるイスラムの導師に出会った事で、その信仰は狂信的になって行きます。

 

 

このベルギーのブリュッセル西部にあるモレンベークは、イスラム教徒が多く、ほとんどがモロッコ系だそうです。そこに住む一部のイスラム教徒や過激派が、パリ同時多発テロ事件やブリュッセル爆破事件に関与しており、イーストウッド監督の「15時17分、パリ行き」の映画で描かれていたタリス銃乱射事件の犯人もブリュッセルから乗車していました。ここ数年、ブリュッセルはヨーロッパにおけるテロの交差点となっているそうです。

 

そんな背景から出来たこの映画は、一度、狂ってしまった教えは、簡単に正常な状態に戻すことは難しいということかなと思いました。アメッドは、周りがどんなに話をしてもどんどん意固地になり閉じこもってしまい、自分の信じるモノだけを聞くようになってしまいます。よく、話せば理解し合う事が出来るときれいごとを言う方もいらっしゃいますが、こと信仰などに関しては、まず無理だと考えた方が良いのかなと思いました。一度洗脳されてしまったら、それを変える事は難しいんです。

 

 

このアメッドも、いつまでも自分の考えを変えません。あまりに周りがウザいので、段々とかわし方も上手くなっていき、平然と嘘をついて、自分の本当の考えを隠すようになっていきます。先生の事は、いつまでも背教者だと思っており、彼女を殺すことで自分は清くなれると考えているんです。子供だからこそ、その頑なな考え方は変わることは無く、同年代の少女との恋も、動物とのふれあいも、彼には何の影響も与える事は無かったんです。

 

ちょっと驚きました。どこかで、話せばわかるとか、優しくしていれば相手の心も変わってくるだろうとか、そんな思いを持っていましたが、信仰というのは、周りが何をしても難しいんですね。まだまだ、私も考えが甘いなぁと思いました。

 

 

この映画を観て、やっぱり誰もが考えるべきなんだと思うんです。こちらが正しい事を説いて行けば、相手も変わるというのは幻想で、相手は自分の考える事が全て正当だと思っているので、こちらがどんなに話をしても、間違った考えだという事で受け入れはして貰えないという事なんです。これ、宗教もそうだけど、北朝鮮とか、韓国とか、中国もそうですよね。どんなに日本が正しい事を言っていても、相手は自分が想像したことが正しいと思い込んでいるので、考えを変えることは無いんです。

 

それなら、もう、機械的に話をするしかないと思います。気に入らないなら関わらない。相手に天罰が下るまで、もう、手の打ちようが無いんですよ。いやぁ、結構、この映画、キツいことを描いていました。母親や家族なら、何とか彼の心を変えられるのかなと思ったんですけどねぇ。ダメなんですね。全ては神のみぞ知るという事です。

 

 

私は、この映画、お薦めしたいと思います。超を付けても良いんだけど、大人しい映画で、考えて観ないと解らないで終ってしまうかもしれないので、超は止めておきました。観る人を選ぶ映画だと思います。でも、素晴らしい映画だと思いました。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ
 

P.S : この映画の後、”幸福の科●”が作っている映画が注目映画に入っているのを見て怖くなりました。あのオウムはヨガから始まり、”幸福の科●”は映画からなんてことになったら恐ろしいです。もし子供さんが友達と映画に行くといって、”幸福の科●”の映画を観て、話を聞きに行く?と誘われてしまったら、洗脳を解くのは大変です。宗教が悪いとは言いません。でも、本当に気を付けてください。

 

 

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