【フランス映画祭】「あさがくるまえに」突然愛する人が脳死と判定されたらどうしよう・・・。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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フランス映画祭 4作目は「あさがくるまえに」を観てきました。

 

ストーリーは、

ル・アーブル。夜明け前、彼女がまだまどろみの中にいるベッドをそっと抜け出し、友人たちとサーフィンに出かけたシモン。しかし彼が再び彼女の元に戻ることはなかった。帰路、彼は交通事故に巻きこまれ、脳死と判定される。報せを受けた彼の両親は、その現実を受け止められない。医師はシモンが蘇生する可能性は低く、両親に移植を待つ患者のために臓器の提供を求めるのだが。その時間の猶予は限られている…。パリ。音楽家のクレールは、自分の心臓が末期的症状であることを自覚している。彼女が生き延びるためには、心臓移植しか選択肢はない。しかし彼女は、他人の命と引き換えに若くない自分が延命する意味を自問自答している。そんな時、担当医からドナーが見つかったとの連絡が入る。

というお話です。

 

 

内容の解説をしようと思ったのですが、上記のストーリーでほとんど網羅しているので、直ぐに感想に行きたいと思います。

 

この映画、とても考えさせられる内容でした。どんなに考えても回答が出ない問題です。もし、自分の愛する人が脳死になってしまったら。さっきまで、一緒に居たのに、戻って来たら脳死ですからどうしますか?って聞かれるって、どうしようもありませんよね。

 

 

何かをすれば元に戻るなら何でもしてあげたいけど、回復する見込みは無いと言われてしまう。でも心臓は動いているし、顔はまだ血が通っているんです。どうしたら良いのか、それも、あと何時間以内で決めて下さいと言われても、簡単には答えは出せませんよね。

 

 

反対に、心臓を待っている人がいる事も解ります。自分や家族が、もし心臓が悪くて、移植を待っている方だったら、出来れば直ぐにでも決断して貰って、心臓移植をして欲しいと思っていると思います。もう脳死しているのだし、二度と目を覚まさないというのなら、お願いだから心臓を譲って欲しいと考えると思います。

 

 

どちらの気持ちも痛いほど解かるから、本当に困ります。だって、どの決断をしても、心に、何か、シコリのようなものが残るから。

 

もう目覚める事は無いから心臓を提供しますと決めても、いつまで経っても、もしかしたら目が覚めたのかもと思ってしまうし、心臓を提供したら、提供先の人に彼の記憶が伝わるかもとか期待してしまうし、何処までもスッキリしません。

 

 

心臓を受取った方も、誰かの心臓を貰ったという事で、いつまでも申し訳ないという気持ちを忘れないし、かと言って、生きたかったから諦められなかった訳だし、難しいですよね。

 

 

でも、この映画、ちゃんとスッキリします。最後は書けないけど、一応、ちゃんと、決着が着くんです。良かったのか、悪かったのかは、その時の画面に映る人の顔を見れば解ります。そう、きっと、時間が解決してくれるだろうと思えました。例え、誰に何を言われようと、決めた事で間違っていなかったと思いたい。いや、思えると思います。家族の決断は間違っていないんです。だって、愛する息子の、愛する人の心臓なんですから。うーん、感動しました。

 

 

私は、この映画、お薦めしたいと思います。派手な映画では無く、じっと考える時間の多い映画ですが、いつ、どちらの立場になってもおかしくないんです。自分にも起こり得る問題なので、映画を観て、共感して、考えて見て欲しい。そして、日本も、もう少し脳死判定で臓器提供という案件が増えてくれる事を祈っています。こういう映画で問題提起をしてくれるのは嬉しいですね。ぜひ、観てみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。

 

 

フランス映画祭「あさがくるまえに」

http://unifrance.jp/festival/2017/films/reparer-les-vivants

 

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