舞台「やってきたゴドー」を観てきました。
ストーリーは、
電柱とバス停の近くでゴドーを待っているエストラゴンとウラジミール。いつ来るかも分からないゴドーを待ち続けて、そこで落ち合っているのですが、ある日、二人が座っている場所に、バスを待つおばさんがやってきます。バス停で編み物をしながら、バスを待つおばさん。そして、何故か、電柱の近くで受付をしろと言われてきた2人組の派遣社員の女性。そんな訳の解らない人々に出会いながら、二人はゴドーを待っている。
エストラゴンとウラジミールが、その場を少し離れた時、ウラジミールの子供だという赤ん坊を連れた女性が現れ、ウラジミールを探していると言います。ウラジミールはいつもエストラゴンと二人でいるはずという彼女に、おばさんと受付嬢は、先程、その場を通って行った、不思議なポゾーとラッキーを、エストラゴンとウラジミールだと勘違いし、あちらに行きましたと彼女に伝えます。それを追っていく子供を連れた女性。
そんなところに、「ゴドーなんです。」と言って現れた、まるでキリストのような男。誰も、その男の事を気にせず、ゴドーは、その場に腰を下ろす。そして、自分を待っているであろうエストラゴンとウラジミールが来るのを待ちます。
その場に戻ってきたエストラゴンとウラジミールに、ゴドーが「ゴドーなんです。」と話すのですが、二人は他の事に夢中で、全く話しを聞きません。何度も何度もゴドーは話すのですが、気が付いてもらえず、それでも、訴え続けるゴドーに、エストラゴンとウラジミールは・・・。後は、舞台を観てくださいね。
いやいや、もう、大笑いしてしまいました。2週前に「ゴドーを待ちながら」を観て、それが頭にガッツリ残っている所に、この舞台を観たものですから、もう、あまりの面白さにツッコミを入れたくなりました。いや、コソコソ、入れてしまっていたと思います。(笑)
この舞台では、ゴドーは、ゴドー=ゴッド=神 という解釈で、エストラゴンとウラジミールは、あまりにも、自分たちは良い事もないし、何も無いので、死んでも良いと思っていて、死を待っている=ゴドーを待っていたのではないかなと思いました。だけど、実際にゴドーが来てみると、やることがたくさんあるし、忙しいし、生きることに必死で、もう、ゴドーなんてどうでもよくなっているんです。
ゴドーが来てくれた事に気が付きはするけど、でも、何で彼を待っていたのか、忘れてしまうんです。そう、人間って、そんなもんなんです。ゴドーを待ちたい時も多々あるかも知れないけど、でも、必死で生きているんです。そんな力強さと、活き活きとした命を見せられたような気がして、とっても気分が良くなりました。ホントに良い内容でした。
うんうん、そうだよね。みんな一緒なんだよ。ダメだと思う時もあるけど、でも、きっと良い事もあるし、やらなくちゃと思う事も出てくるし、楽しい事も沢山あるんだよ。ポゾーとラッキーも、支配する者とされる者のようになっているけど、お互い、助け合っているんです。なんか、うーん、良かったなぁ。観て良かった。
凄く、観た後に気持ち良くなる演劇で、「ゴドーを待ちながら」を知っていたら、ぜひこの「やってきたゴドー」も観るべきだと思いました。本当に良く出来ていました。
私は、大満足でした。すっごく楽しかったもん。忘れられない舞台です。明日までだけど、もし、観れるようなら、観てみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
東京乾電池 http://www.tokyo-kandenchi.com/come-godot.html
![]() | ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット) Amazon |
![]() | ゴドーを待ちながら (1956年) (現代海外戯曲) Amazon |