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現代を生きる女性の笑顔を咲かせるお手伝い

幸縁ノ縁がわ

ゆきえのえんがわ

yukieです。

 

本音と裏腹のことを言ってしまうこと

ありますよね。

 

自分がどれくらいの頻度で言っているか

自覚はありますか?

 

例えばパートナーが

「〇〇しようか?」

などと、サポートを申し出てくれたとき。

本音は「手伝ってほしい」なのに

「大丈夫。私がするから」

などと言ってしまう。

 

このような場面は

一緒にいる時間が長ければ長いほど

山のように出てくるでしょう。

 

この後のパートナーの行動に、あなたは何を求めるでしょうか。

 

口では「やらなくていい、自分がする」と言ったものの

 

本音を言えば手伝ってほしい。

やってもらってかまわない。

むしろ、やってほしい!

この気持ち、わかってほしい!!

 

その後、パートナーがあなたの言動に反してサポートしてくれた時。

 

嬉しい気持ち、感謝の気持ちが湧き出てくると思います。

 

ただ、ちょっと気をつけたいところです。

 

自分の言葉とは裏腹の本音を

パートナーが察して行動してくれた。

 

この部分に対して自分の存在価値を感じるようになってしまうと、徐々に自分が苦しくなってしまいます。

 

パートナーシップをあきらめない!~「わかってほしい」をやめてみる~→★

 

でも触れましたが

プライベートで人間が考えていることを逐一わかったら

エスパー級ですよねあせる

 

そもそもが難しいことだと言うほかに

 

この、言ってることと思ってることが違うと言うのは

自分自身にも返ってくるということを知っておきたいものです。

 

例えば私の話ですが

家事の中でどうしても

「洗濯物を干すのだけは自分でやりたい」

という気持ちがあります。

 

干し方1つで、同じ時間で乾いてくれないものがあったり

取り込む時、畳む時、しまう時に楽な干し方ってのが、自分なりにあるんです恋の矢

 

その自分なりのやり方を

「これはこうして、これはこう干してほしい」

とイチイチお願いするのは気が引けるので

それならば自分でやってしまいたい。

これが私のホンネです。

 

でも、その他の家事

例えば、ご飯を作る、食器を洗う、掃除機をかける…

などなどは、やってもらえたら本当にうれしい!!ありがとー!!となるものです。

 

私の中で

「洗濯物を干す」という家事と「その他の家事」には

 

「自分でやりたい(=相手にはやってほしくない)」家事と

 

「やってもらえたらとっても嬉しい!!!!」家事という違いがあるのです。

 

にもかかわらず

常に言葉では

「大丈夫、自分でやるから」

と同じ表現を繰り返し、心の中で

 

これはやってほしいんだけどなぁショボーン

と思う時もあれば

その言葉が本心の時もある。

 

なんてことになったら

相手はどうでしょう!?

 

「言葉とは裏腹に、手伝ってほしいんだ」

「言葉ではそう言ってても、手伝ったら喜んでくれる」

という成功例がある(多い)パートナーは

 

「自分でやる」「自分でやりたい」

という言葉が本心から来ている場合でも手伝ってくれるはずです。

 

その結果、自分自身はどうでしょう?

その1つ1つに対して

わかってくれた、わかってくれなかったと一喜一憂するのでしょうか。

 

気遣い、心遣い、思いやり

などと表現してみれば、なるほど素敵な関係にも見えるのですが

 

このようなケースを続けてしまっては

日々の生活が本音の探り合いになってしまいます笑い泣き

 

本心ではない言葉が飛び交い

そこに潜む本音を探り当てることが

気遣い、心遣いという位置づけになってしまうと危険域。

 

パートナーと自分自身は育った環境も価値観も異なる他人であるということを思い出せば

 

その探り合いを続けるうちにどんどん核心から離れてしまうことを予想するのは容易です。

 

気遣いや心遣いは日々の暮らしの中でいくらでも登場させられます。

 

「手伝ってもらえて本当に助かった、ありがとう」

という言葉にだって、込められます。

 

自分の心に素直になること。

裏腹の言葉で相手や自分を欺かないこと。

 

今日からちょこっと意識してみませんか。