1993年、私はバートンのAIRという板に乗ってスノーボードを始めました。20歳。カナダのウィスラーにて。


最初のシーズンからクリフを飛んだり山を自由に飛び回れるスノーボードに夢中になりました。


あの時代からずっと王道だったバートンというブランド。世界のトップ選手達が使っていて憧れていました。




その後日本に戻りハーフパイプ競技を始め2年目にプロ昇格、スノーボードを始めた3年後には長野オリンピックに向け日本代表ナショナルチームの選手に選ばれました。


当時はみんな自分でバイトしてお金を稼いでスノーボードをしていた時代。

ワールドカップ遠征費もシーズンオフのバイト代と子供の頃からの貯金から捻出。そんな厳しい環境の中、私の活動を広げてくれたのは当時のスポンサー達でした。


お金のためだけではないけど、スノーボードで上を目指すにはスノーボードでお金を稼ぐ必要がありました。まだ経験の浅い私は、他の仕事をするよりボードを履いている時間を少しでも多くしたいと思っていました。


最初のスポンサーはモロースノーボードで、アマチュアの私を発掘して育ててくれました。

プロになりシグネチャーボードを出し、サブリナという女性のためのスノーボードの開発と立ち上げに関わり、95年から2005年まで10年間モロージャパンにお世話になりました。


その後自分でスノーボードブランドを立ち上げる野望を持ちVERSE VIVIAスノーボードを設立。

この時期ガールズムービーやアパレルブランドの運営、イベント開催や女性スノーボーダーのマネージメント業務も行い、ビジネスは幅を広げ成功を遂げる反面自分のスノーボード時間が削られていくことを感じ、進路変更。

2007年からK2社と契約を結び、私のスノーボード人生の15年間という時間を共に歩ませていただきました。


そして今。

今シーズンでスノーボード30周年という節目。
50代になった私は、残りのスノーボード人生をどう使いたいか、初めて考えました。
これまでの30年間は目先の目標を達成することだけで突き進んできたので、こんな風に考えたのは初めてです。

「本当に使いたいギアでスノーボードをしたい」


環境やお金やイメージではなく、本当に素直に使いたいギアで私のスノーボード人生あとどれだけ楽しめるだろうと考えたら、ワクワクしました!




私のスノーボード人生で一番憧れた、Victoria Jealous がデビューさせたFEEL GOOD というボードが今も存在していることに運命を感じて、絶対にこのボードに乗りたい!と強く思ったんです。


これまで私が環境を与えてきた息子が、今度は私の環境を繋げてくれる日が来るとは。




私のスノーボード人生のほとんどは、スポンサーからお金とギアを提供してもらってきました。それがなかったらここまで来れなかったと、心から感謝しています。

これまでのギアに何の不満もなかったし、大好きなブランドだったことも本当です。 



スノーボードを始めた20歳の私は、30年後に同じブランドのボードを乗って滑ってるなんて、想像もしていなかったな。