アメリカから日本へ到着した時のことをやっと振り返ります。



マンモスレイクスから6時間かけてロサンゼルスへ移動し、日本領事館で夫と息子の日本パスポートを受け取り、その晩のフライトで日本へ旅立ちました。
パスポートが受け取れなかったらどうなるんだ?という心配はせず(笑)日本へ行くぞ!と強い意志を持っての家族大移動でした。
 
ちなみに日本への航空券を手配する際に、「日本のパスポートがないと渡航の保証はできません」という忠告も受けましたが、(当日受け取るから大丈夫)と半ば強引に日程を組み、綱渡りで日本へ無事にたどり着きました。
 
入国の際にPCR検査もあり、そこで誰か一人でも陽性であれば親に会うことはできない。そんな状況もクリアし、やっと会えた瞬間。
 
 
夫と両親は1年半振りの再会でした。
 

おかあさ〜ん♡ ↓嫁姑です。

 
何度かキャンセルしていた日本滞在では、親に迎えにきてもらわずに隔離の2週間を過ごそうとしていたのですが。
今回家族みんなで移住することになり、夫の両親の言葉に甘えて空港まで迎えに来てもらいました。
 
 
そこには、自己隔離の2週間を実家で大切に過ごしたいという思いがありました。
アメリカに嫁いでから最初の1年は夫の両親の家で一緒に住まわせてもらっていたので、今回10年振りに毎日を一緒に過ごす時間となりました。
 
 
アメリカではいつも実家でじいじのレコードを聴いたりお母さんのご飯を食べていたので、懐かしくて嬉しい時間でした。
 
 
場所が変わってもいつものノリ。じいじとトラの昭和ギャグとお母さんの手料理。
 
 
お手伝いくん。
 
 
お母さんと早朝お散歩。
 
 
 
コロナが広まって、アメリカはロックダウンになり、私たちの仕事も息子の学校もストップし、その後いつもと違う時間がずっと流れていました。日本に出発する前はしばらく近くの山火事にも怯えていました。
 
なんでもない日々だけど、両親と一緒に毎日ご飯を食べて笑って、テレビを見て笑って、時々家族内で誰かが機嫌悪くなったり喧嘩したりもして。それを家族でまた修復して。
そんな時間が、本当に本当にかけがえのないものだと感じました。
 
 
夫と何度も、「これだけでも、日本に来た意味があったね」と言いました。
夫の両親には私と息子だけで昨夏会いに来て、冬は一緒にLAからラスベガスに旅行して、嫁と孫の方が一緒に過ごす時間が多かったので。
息子である夫と両親を一緒に過ごさせてあげたいという思いがありました。
 
 
最高の時間でした、ありがとうございました!
背後にトラ(笑)
 

 
アメリカにいた時も、今も。
夫と喧嘩してる私に、いつもいつも味方してくれてきた義両親。

親になって、本当は我が子を一番信じて大切に思ってるってこと、わかってるけど。
それでも、嫁である私のこともちゃんと味方になってくれる。

それがどんなに深いことか、身に染みて感謝しています。