最初は大丈夫だと思っていたことが、どんどん変わっていった。自分の認識も変わっていった。
コロナウィルス が流行り始め、街ではいち早く休校や在宅勤務が始まり、自然を求めて雪山へやってくる人が一気に増える傾向になった。
(自然の中なら人との距離が遠いし、都会の人はリラックスできるし地元は潤う。)
そう思った。
翌日には北米のほとんどのスキーリゾートがクローズした。
(ゴンドラやロッジは閉めてもリフトだけでも動かしてくれたら滑れるのにな〜)
そう思った。
スキー場が閉まっても、民泊を運営している私のところには滞在しようとする人からの問い合わせが沢山あった。予約がどんどん入ってきた。
(あれ?意外とお客さん来るんだな。少しでも来てくれたら助かるな。)
そう思った。
あっという間にレストランもお店もバーもクローズした。町からコメントが出た。
「この町に定住している人以外は、今はここに来させないようにしましょう。」
その一言で一気に変わった。
ただそのルールには、仕事で来ている人、今困っている旅行者、緊急のためには部屋を貸してあげられるとのこと。
そんな通達が届いた日、山も町も吹雪だった。プリウスで来てしまったというそのお客さんはすでにこの町にしばらく滞在していたけれど、泊まるところがなくなってしまったという。これは緊急事態に値すると思って泊めてあげることにした。
するとすぐにゲストハウスの建物のマネージャーから連絡がきた。もうこの町には他所の人泊めてはいけないのだと。彼は既に警察にも連絡していた。
「ごめんね、でも僕はこの建物を守らないとならないんだ。」
私も先に彼に一言相談しておけばよかったと思って謝った。
警察は、この雪の中で今日彼らを無理に帰す必要はない。だけど雪が止んだら街に帰ってもらってください、と言った。
ゲストたちは「あなたが泊めてくれなかったら今夜車の中で寝ることになっていたと思う。本当にありがとう。」と言って翌朝帰っていった。
その頃はまだホテルや民泊も自粛的な雰囲気だったけれど、「町に外の人を入れない」というルールはあっという間に浸透し、居住者以外の人がいれば近所の人がすぐに見つけて通報するような流れだった。
町の人たちの中には民泊で生計を立てている人たちも沢山いる。お客さんがいなくても維持費はかかる。だから少しでも稼ぎたい気持ちはよくわかるし、今の日本もそうだと思う。「コロナ疎開」したい人は沢山いるし、生活のために受け入れたい人の心の隙にはいくらでも入って来てしまう。
その後もゲストハウスに泊まれるかという問い合わせはずっと続いたけれど、もう受け入れるべきではないとわかった。
町の人の目も行き届き、町の人みんなが協力して頑張ろうとしているところに内緒で外からの人を泊める人はもういなくなった。
ホテルや民泊などの宿泊施設がお客さんを泊めたら、今は罰金か刑務所。そこまでの罰を受けてでもやりますか?と。民泊を運営している私たちには直接メールなどで厳しい通知が来ている。
この数週間、私自身が思っていたことはどんどん覆されていった。そのスピードがアメリカは結構早い。誰もがここまでになるとは思っていなかったことだらけだと思う。
(前は大丈夫だと思っていた)ことを責め合うよりも、気づいた時点でどう行動するかが大事だと思う。
日本の山の小さな村で「ここには感染者いないからまだ安心だ」と言ってる両親の言葉は、少し前に私がここで言っていた言葉だ。
私の住む小さな町は、結局都会から来た人たちがウィルスを運んで来てしまったから。
日本を追い越してしまった他の国の例があるから、日本はもっと早く対応できる事が沢山あるはずだと思います。