”成功の鍵は、楽しむことそして一生懸命になること。”

 

彼は自分自身のことを、

「楽しいことが大好きな男。ビジネスマンじゃない。」

そう言っていたそうです。

 

「楽しいことをしていると長生きができるんだよ。」

 

 



私の住むマンモスマウンテンには、ゴンドラの中間駅にMaccoy station と創立者の彼の名前がついています。

この巨大リゾートの設立者がDave Maccoyという人物だということは、この山に来れば自然と知ることになるのです。

 

デイブが今も生きていることを、私はこの町の小学校へ通う息子から最近聞いて初めて知りました。

「Bishop(隣町)に住んでるんだよ、100何歳のお爺ちゃんなんだ。」

 

90歳代までスキーをしていたという彼。一度会ってみたいなと思っていた矢先、彼の訃報が届きました。

つい4日前、風の強いこの山で日本人女子のハーフパイプの大会を観戦し、息子がチームで一日中滑る姿を眺めていた日、デイブは104歳の生涯に幕を閉じていたのです。


 

彼のストーリーは簡単には語りきれないけれど。

この山に滑りに来る日本人スノーボーダースキーヤーが増え、マンモスマウンテンというリゾートが日本にも広く知られるようになった現在、この山を切り開いた彼の生き様を皆さんにも伝えたいと思い、一部分ですが和訳しました。

 

 

 


 

1935年に初めてロープトー(滑車についたロープにつかまり斜面を登っていく)を作ったデイブ。それは彼ら自身が週末に遊ぶためのものでした。

 

「自分でもなんでこんなに好きなのかわからないんだ。俺はただ、滑る板を足の下につけてることが好きなんだ。」

 

21歳の時にマンモスのバックカントリーをひとりであちこち探索し、急な渓谷や広いボウルを見つけて滑っていたデイブ。魅力的な地形と共に、そこには大量の雪があることも知ったそうです。彼の夢と野望の実現が始まったきっかけでした。


周囲の人々は口を揃えて反対したそうです。こんなに孤立した場所にリゾートを作っても成功しない、風が強く標高が高くそして雪が多すぎる、と。

 

しかしデイブは、「この場所には完璧なコースがたくさんあるし、雪にも困らない。」と計画を進めて行きました。


They said I couldn’t. 

 


85年後、2020年の今。

6人しか住んでいなかったマンモスマウンテンには現在年間130万人以上のスキーヤースノーボーダーが訪れています。

 

デイブはマンモスマウンテンを作り上げた後、他のリゾートから巨額なお金で開発に携わるオファーを受けたこともありましたが、それを断ったといいます。


「俺はマンモスマウンテンが良くなるように働いてきたんだ。いつも、どうやったら明日はもっと良くできるかということばかり考えてきた。お金のことなんか心配してやって来たんじゃないんだ。」

 

 

 

 



"Life is what we make it as individuals,

Everyone has a diffarent life. But longevity happens because you do something fun.

I just wish I had a hundred more years. There's a hundred more things I want to do."

 

「人生は、私たちそれぞれ何ができるかだ。

人はぞれぞれ違う人生だ。でも人生を楽しんでいる人は長生きできたりするんだよ。

 

俺はあともう100年あったらいいなと願っている。そこには100以上、俺のやりたいことがあるからね。」

 


I don’t think about my age. 

I think about what can I do. How can I do. How can I see it.  

 

 

彼の生き方と言葉を知ることで、この山で滑ることがもっと楽しくなり、大好きな雪山で滑り続けることの意味を深く感じらる気がしています。