K2と契約して10年が経ちました。

当時自分で作っていたスノーボードブランドはK2の工場で作らせてもらっていて、そこからの合併。

必死でした。
夢と希望を持って自分のブランド守りたくて、でも何よりも大切なのは私がスノーボード続けていくことで、経営者になることもブランド作ることも私にとっては二の次だったんだと思います。
そんな自分の甘さを認め、K2に協力してもらおうと踏み出した、言葉では言えない一歩でした。

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あの頃、たったひとりで向かったシアトルのK2本社。
今よりもっとたどたどしい英語だった私に、スタッフたちはみんなとても気持ちよく接してくれました。


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辞めてしまった仲間もいるけど、隣にいるのは今回も会ったNigel. 

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ビフォーアフター(笑)↓

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本社には私の昔の写真がパネルで飾られていてビックリしました。

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K2と繋がりを持ったことで、シアトルの本社と繋がり、新しい世界が広がりました。


アメリカを見たい!知りたい!
きっと私が成長出来る何かがあるはず!

と、9年前に日本を飛び出してシアトルを拠点にし、初めて英語学校へも通いました。

これが私のアメリカ移住へのキッカケにもなりました。


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あれから私は変わっただろうか。

間違いなく、私の人生は激変しています。
10年後、アメリカに住んで6歳の息子と雪山に住んでスノーボードしてるなんて、誰が想像した?笑
私自身も全く想像していなかった未来です。


この時35歳(独身 笑)だった私には、今思えばまだまだ可能性があったし、実際当時の自分もまだ出来ると思っていました。


何かを変えるのに、踏み出すのに、遅いってことはないんです。

そこから始まるから。


そして、10年経っても相変わらず失敗もして、悩み、悔やみながら、無我夢中で進んでいます。


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アメリカで挑戦すること、理解して認めてくれるK2ジャパンがあってこそ。


ここに来るたび、振り返りながらも、前を向いてる自分で居たいなと思います。