気づいたら、同じようなことしてるんだよ、私。
雪山で出会った父と母は私たち娘が出来て実家のある東京に戻り、父の実家の部屋に住んでいた。
スキーバム(スキーが好きで山籠りして滑ることでどうにか仕事をしている)だった父。
それなりの仕事をしていたけれど雪山に惹かれた母。
私たちが20歳を過ぎた頃、定年を待たずに父は雪山へ移住した。
母はまだ時々戻ってくる末娘の私や孫たちの世話をしながら、父の世界を共に楽しみ、東京と雪山を行き来していた。
「遠距離夫婦」
なんてふざけて呼んでいたけど、それはとても幸せそうだったから、嬉しかった。
東京にいてくれる母と山小屋でワイルドに待ち構えてくれている父がいたことで、私たち自身の世界もそして私たちの子供達の世界も凄く広がったと思う。
今も東京と雪山の生活を繰り返す父母。
ふたりでリフトに乗り、父の後ろを追って滑る母の姿。
父は山にいると生き生きしている。
そんな父がいるから母もいつまでもアクティブだ。
なんだかんだ言いながら父に巻き込まれ面白い人生を送っている母は女としても素敵な人生だなと思う。
そして私はふと気がついた。
すべて自分の判断で決めてきたような気でいたが、私、父がやっていることと同じことしてるんだ。
女同士である母の姿にも憧れ、母の真似もしているんだ。
マンモスマウンテンという大自然の地に移住する決断には、この両親が大きく影響していたんだと、今更ながら気づいた。
もうアメリカには行くことはないだろうなと言っていた、70半ばの父母。
私も日本へ会いに帰ることしかもう考えなくなっていた。
ふと3日前、次の日本行きに息子も連れて行くかどうしようか迷っているとアメリカの義母に話した。日本の両親に合わせておきたくて。
「だったらユキエさんがご両親連れて来ればいいじゃない」
。。。
スパッと言ったこっちの母の一言で、目が覚めた。
私がマンモスに移住を決めてから、実は日本の母がこんなことを口にした。
「最後にもう一度、ユキエのいるマンモスに行ってみたいねとお父さんが言ってるの」
それだ!!!
その日にすぐ日本の両親をその気にさせ(笑)、航空券の手配をし始めた。
あと何度あるかわからない。
私は30代になった時、父より遅れて定年退職をした母に合わせ、60代の両親を自分のルーツとなったカナダのウィスラーへ呼び寄せた。
それから、私が好きな場所、連れて行きたい場所に行こうと思うたびに連れて行った。
やっと逆のことができるようになったと思ってきた。
今までたくさんの場所に連れて行ってもらったから。
40代になると両親は70代になっていた。
数年前に母一人でアメリカに呼んだのが最後で、その時初めて買ったことのないビジネスクラスってやつを買った。
母は遠慮と恐縮の塊で最後まで頑なに拒否していたが、足を伸ばせる席を用意してあげることが私の感謝の気持ちのひとつだった。
ひとりで渡米した母はどうやら機内でもリクライニングシートをたいして倒さずお酒も飲まず、ビジネスクラスを全く満喫していなかったようだったが。苦笑
今度はふたりまとめてだ。
またも遠慮する母だったが、口では遠慮しながら間違いなく興味津々な父がいるので(笑)間違いなくキャビンアテンダントさんに質問しまくり満喫できるであろう。
「冥土の土産にしなよ」
なんて照れくさい気持ちをごまかしながら返す。
お金の心配をする母に私は
「何のために働いてると思ってるの?」
とぶっきらぼうに返すのが精一杯だった。
今度こそ二人ともフラットシートで足を伸ばして横になって乗ってきてくれることを願う。
そして私が50代になる頃には80代の両親にファーストクラスを用意してやろうと心に誓う。
座席が贅沢だとかそんなことより、
2人が歩んで来た道のりがあるから、今私たちがこうしてるっていう事実を、見ていって欲しい。