すいません、さすがにタイトルが危ない。
山に厳しいと書いて「巌」という男の子の名前しか考えていなかった私たちの父。
長女次女三女、と、女しか生まれて来ず。
それでも父母は雪山へ行くことは躊躇せず貫いてきました。
記憶のどこかにある、猛吹雪の中をみんなで歩いた思い出。
日本に帰った時ふと母に聞いてみた。
「お父さんがね、免停になった時があって。」
免停になるような運転をしてきた父。
知ってる。
「スキーに行くことにしてたのに、運転できなくなっちゃったから、みんなで電車で行ったのよ。」
そうそう、なんとなーく覚えてる。
「猛吹雪になって、バスが山のロッジまで行けなくて、途中から荷物担いで歩いて行ったのよ。」
戸隠の中社より下のバス停からスキー場まで。
今大人の足で歩いても30分くらいかかりそうな距離だ。
「物凄い吹雪でね、前が見えなくて、子供たちが飛ばされそうで。」
その壮絶な記憶が私の中に残っていたのだろう。
「遭難しないようにみんなをロープで結んで、繋がって歩いたのよ。
途中でチョコレート口に入れてやったりしながら。」
…
そ、それって私が何歳くらいのころ?
「4歳くらいだったかしら。」
!!!
今のトラくらいの頃に、よくぞその距離を猛吹雪の中歩かせたな!!!
それでも滑りに行くという父の執念。
その父の行動に疑問を抱かずチョコレートを食べさせて頑張らせたのよと普通に言う母もまた、恐るべし。
同じ親として
ある意味、凄い。。。
ある意味、凄い。。。
そして子供だった私の記憶は
決して辛いものではなく
夜の吹雪の中歩いたなーという
なんなら少しワクワクするような記憶だった。