2000年頃かな。吉田裕子ちゃんと、岡崎友子さん。
ワイオミング州ジャクソンホールで雑誌フリーランの撮影に行った時。
私にとって初めてスノーボード海外撮影だった!
シーズン忙し過ぎて、出発前夜は白馬で日本オープンのナイター決勝に出場してた。
しかも熱が38度も出てて。
決勝終えて東京に戻って、朝成田へ向かった。
リムジンバスでグッスリ眠り、空港に着く直前にパスポートが必要なことに気づく。
パスポートがナイことではなく。
パスポートが必要ってことに!!!
シーズン中の移動が激しすぎてパスポートの存在感をすっかり忘れていた…
姉に電話すると、引き出しに入ってるパスポートを持って成田まで来てくれたが、出発には間に合わず。
同じ便で撮影へ向かう吉田裕子ちゃんを見送る。
…初めての、海外バックカントリー撮影だったのに。
バカな自分を悔やみ、涙をこらえて姉を待った。
姉がパスポートを持ってきてから、カウンターの係の方が手を尽くして、どうにかその日のうちにジャクソンホールへたどり着くフライトを用意してくれた。
そして、最後に言った。
「実は私はスノーボードをしています。上田さんのことを応援しています。」と。
知ってくれていたんだ!
取り乱して涙をこらえてた姿が恥ずかしかったけど、混乱してる最中何も言わず手を尽くしてくれたそんな気持ちを力にして出発した。
ジャクソンホールでは高山病になってしまい、病院に運ばれて休んでる間にクリフ(崖)を飛ぶ写真を残せた裕子が羨ましくてたまらなかった。
自分より年上の友子さんの雪山ハイクアップに着いていけない驚きやプロとしての情けなさを感じた。
いろんな経験をした。
プロスノーボーダー吉田裕子。
プロウィンドサーファーであり、コアなジャクソンホールで長年生活してた岡崎友子さん。
ふたりのプロフェッショナルな滑りや行動に刺激を受け、そして私への気遣いと優しさを感じた。
その優しさは、私をなぐさめるってことではなく、次につなげる気力をくれたこと。
その経験が、当時大会や国内撮影が中心だった私の何かを変えた。
90年代スノーボード時代を共に生きた戦友、吉田裕子からプレゼントとメッセージが届いた。
彼女とは同じ時代に同じように、女の子ライダーとして雑誌に載っていたけれど。
私達は違うタイプだった。だから個性を発揮しようと頑張っていた。
それはお互いが一番よくわかってた。
あの時代を共に生きたからこそわかること。
そして今お互い母になり、その中でも自分の個性を発揮しようと必死で生きてるその姿を見て、今だからわかることがある。
彼女が変わらずまっすぐなこと。
私の大好きなデニムっぽい色。よく見たらTORAってデザインに入ってるし!
彼女としばらく会ってないのにちゃんとわかってる。これ持ってアメリカ帰るよ。
見るたび日本に大切な友達がいるって想えるだろうな。
日本を離れるのが寂しい気持ちと、これからも私にとって日本はずっとhomeなんだって思える気持ちとで、胸がいっぱいです。