昨年春に木に衝突し救急車で運ばれた病院は、今思い返すと憤りを感じずにはいられない対応でした。 

前十字靭帯が切れ、内側側副靭帯も重度の損傷、数カ所の骨挫傷。

じっとしていても痛くてたまらなかったあの日、何の固定もされず痛み止めもなく、ただ湿布を一枚貼られただけで終わり、痛くて苦しくて不安でたまらない夜を過ごした辛さは忘れません。

スキー場のパトロールの対応は言うことなく万全で、救急車で運ばれている間と救急病棟にいる間も固定をしてきちんと対応してもらいました。

あまり悪いこと、文句は言いたくないけれど、改善されて欲しいことなので、思い出して書きます。

診察は4時間ほど待たされて、レントゲンを撮っただけ。
しかも車椅子を押してもらっている間に受傷した足を壁にぶつけられ涙が出る痛さ。

医師からは「骨折はしていない」との診断のみ。
「あとは自宅の近くの医者に行ってみてください」と。

私は今長野に滞在していて、しばらくここにいるのでもっと詳しく調べて欲しい、
靭帯損傷の可能性があると思うからMRIを撮って診断して欲しい、
と伝えました。
医師は面倒くさそうに苦笑いしながら「すぐに撮れるものではないから」と。「ここで撮っても仕方ないでしょう」と。
触診して靭帯の伸び具合などを確認を頼んでみたけれど、「今日やったものか以前にやったものかわからないから」と。

でも翌朝行った整形外科ではすぐに触診して症状を的確に言い当ててくれました。

確かに救急指定病院は、いろんな場所からスキー場へ来て怪我をして運ばれてくる人が多いのだと思います。
でも、そんな投げやりな対応はどうなのだろう。

それでも食い下がらずに取れたMRI予約は1週間以上先。

その夜、痛みと不安を抱えながら、長野近辺の病院の情報を集めてたどり着いたのが、長野整形外科でした。

翌朝、父の運転で駆け込んだ病院。
その道のり、風景。今日同じ道を通ってあの時の気持ちを思い出しました。

即日ほぼ的確な症状を教えてくれて翌日MRIで検査をしました。
不安だった往路。きちんと見てくれる場所があったという安堵感を持った復路。

膝を固定されただけでこんなにも楽になるのかと。痛み止めを飲んでやっと眠ることができたことも、あの頃の私はありがたさだけを感じようとしていたけれど、今更ながら最初の病院の対応に憤りが込み上げてきました。

長野整形外科での診断や処置、対応は私にとって大きな救いとなり、
その後アメリカへ戻り手術とリハビリをしている間も心の支えとなってくれていました。


そして今日、10ヶ月ぶりに診断してもらいました。


言っていること、説明、すべてが何の障害もなく理解できることに、なぜかショックを受けました。

これまで私がやってきたアメリカの環境との違い。

やれること精一杯やると決めてやってきた自分。

今日の診断、体力測定の結果。

まだ私の右足の筋力は弱かったし、痛みを感じる場所もあります。

何かが悪かったのか、いや、そうじゃないのかもしれない。

でも、いろんな結果と、すべてがわかりすぎる位に理解できることに、

帰り道、涙が込み上げてきました。


いろんな人がいるし、いろんな病院がある。いろんな医師がいてスタッフがいる。
その中で自分なりに精一杯やって、悔いの残らないようにしたいと思ってきました。


「こうしていたら、こうだったかもしれない」
とは考えません。
その時のベストを尽くせばいいと思ってます。


だけど。
同じように怪我をして不安でいる人たちに向けても、
「こうすればいい!」ということを伝えたいです。


これから日本の病院で診てもらえる間、ここで精一杯のことをします。

そして、アメリカでの手術の良い面、日本の医療の良い面、両方を活かせる自分になりたいです。

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怪我をして必死な時にいい病院や医師を見つけるって簡単ではないし、
それぞれの生活や家庭環境の中で通える場所というのも限られて来ると思います。

私は私の環境の中でのベストを探し続けてここまで来た、そう思っています。

その人それぞれのベストが出せることが一番だと思います。