受傷して1か月経って松葉杖なしでどうにか歩けるようになってきて、


アメリカに戻ってきた。


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カリフォルニアの気候は暖かくて過ごしやすかった。


それまで気にしていなかったけれど、家の中はすべてバリアフリーの作りになっていて、


どこへ行っても段差を気にせずに歩けた。



アメリカはほぼすべての建物の作りが、車いすに対応している。



3歳になったばかりの、やんちゃ盛りの息子。

この時まだ学校にはすぐに入れなくて。

毎日主人がスケートパークに連れて行った。


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ママが怪我をしたこと。
まだ走ったりできないことも息子は理解してた。

息子が、成長し始めた姿を見ながら、

私も頑張らなきゃって思ってた。

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まだ先は長い。


アメリカの病院や保険のシステムを調べながら、

どうにかアメリカで手術できる体制を作ろうと必死だった。

やっぱり、ここが今の私のホームだから。


調べてもわからなくて、

調べてたはずなのに違っていたり、


自分でどうにかしたいのに自分の力と英語力だけじゃどうにもならなくて途方にくれたり。


でも、どうにかここで乗り越えたかった。


だから諦めずに調べ続けて、これがダメならこれ、と思いつくことすべてやっていった。



日本から、アドバイスをくれた長野整形外科の先生たち。

ネットで調べて相談した有名な先生。

アメリカの医療機関は事務的で冷たかった。

私の英語力のせいもある。


日本語に逃げ帰りたい気持ちにもなった。


でも、直接足を運んで、受付の人だけでも会って話すことで、少しずつ道が開けてきた。


「できることなら、アメリカで手術したい。」


自分の膝をベストな状態で治すことも第一に考えたいけれど、


私は母であり妻であり、


何を一番の優先事項に考えるか。


この時、自分の人生のいろんなことを考えた。