ヤマタイ国がどこか?長い間論争が続いています。
万葉仮名からどうやら九州説は分が悪いようです。
初心に帰って辞書を引いてみました。『古事記』を読むための個人的メモ
瓢箪から駒!辞典の間違いを見つけてしまった!
やまと【倭・大和】
◉岩波古語辞典(1974年 第1刷)より
《奈良県の一郷名に始まり、奈良県全体にわたる「大和国」の国名となり、ついで日本全体の代表名となった語。類義語オホヤシマが地理的意味を持ち、ヒノモト(日本)が対外的な意識によって多く用いられたのに対し、天皇家の国家統一に伴って意味の拡大されていった語らしい》と大まかな説明の後に語義が示されています。
▷古く大倭国と書いたが天平9年(737)12月「大養徳国」、天平勝宝元年*「大和国」とした。魏志倭人伝の「耶馬台」は漢魏時代の中国語の字音によればyamatoまたはyamado(共にoの上にウムラウト様の記号あり)で、倭・大和(ヤマト)と同音。
筑後の山門は別音。
*天平勝宝元年(749)は間違い。大和国表記は天平宝字元年(757)から
◉『日本書紀』(岩波文庫)の注より
ヤマトのもっとも古い記録は魏志倭人伝の「耶馬台」である。これには筑後国山門郡の山門とする説と、畿内のヤマトとする二説あって決しがたい。ただ、言語学的には耶馬台のトは乙類で、山門のトは甲類。畿内のヤマト⁑にあてられたトの万葉仮名はすべて乙類で例外が無い。従って筑後の山門を倭人伝の耶馬台に擬定するのは音韻上からは明白に一つの難点を含む。以下略
⁑夜麻登・山常・八間跡・耶麻騰・・・etc.
ワ【倭・和】
◉日本国語大辞典(小学館)より
日本人の国。もと中国での呼び方で金印の「委」もこれであるという。日本人も倭・和の字を自称に用いて通例は「やまと」と訓読しているが、室町時代頃には「わ」と音読して単独に日本または日本のものを意味する語として用いるようになった。
ワ【倭】
◉学研漢和大辞典 より
名:昔中国で日本および日本人をさしたことば
解字:禾はしなやかに穂を垂れた低い粟の姿。委はそれに女を添え、女性のなよなよした姿。倭は「人+音符委」の会意兼形声文字で、しなやかでたけが低く背の曲がった小人をあらわす。矮と同系のことば。 ▷のち日本では和・和人と直した。
付録:中国の正史に残された日本
『隋書』巻81「東夷」倭国
・・・・邪靡堆(ヤマト)に都す。即ち『魏志』にいうところの邪馬台
(ヤマト)なる者也・・・
「日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に致す。恙無きや云々」。
《国名はヤマトを名乗る。大業3年(607)、小野妹子に持たせ、煬帝を怒らせた国書の記述》
『旧唐書』巻199上「東夷」日本
日本国は倭国の別種なり。その国日のかたに在るをもって故に日本を以て名
と為す。あるいは曰く、倭国自らその名の雅やかならざるをにくみ、あらた
めて日本となすと。あるいは云う、日本、ふるくは小国なれども倭国の地を
併せたりと。
《倭国という中国からの呼称を嫌い、日本と自称するようになった理由がわかる》