テレビ華流古装劇「永楽帝 大明天下の輝き」

もうじき再放送も終わりますが、私が明の歴史をざっと復習してず~っと抱いていた疑問に答えるものであったか、というと未だにすっきりしません。

なぜか、重箱の隅的描写が続くかと思えば、肝心の皇帝たちの心理はけっこうおざなり且つあっさり端折られたりしているからです。理由のひとつは、長いドラマを刈り込んでしまったから。中国では放映許可を得るのにいろいろ煩雑な手続きがあるとのこと、当局の意向に沿った改定や刈込は日常茶飯事のようです。

このドラマ、前半の朱元璋(太祖、洪武帝)部分が在位の長さ(30年)に比例するかのように長く、お陰で明初期の力関係が理解しやすくはなりました。

永楽帝、と日本語タイトルにうたっているにしては、朱棣が永楽帝になるまでが長いこと長いこと。ようやく皇帝に手が届く、と思ったらあと数回で終わりだなんて・・無念。これでは皇帝についてからの事績にほとんど触れないことになりそうです。

私が明史初期の出来事で知りたかったのは、

①洪武帝が建国に至るまでの仲間=重臣を、後に次々と切り捨てた理由

②長男朱標が早逝した後の皇太孫(朱允炆:第2代建文帝)と洪武帝の意思疎通

③建文帝が諸王(伯父・叔父)の領土を召し上げ、身分まで剥奪した理由

④絶対的に不利だった朱棣(永楽帝)が諸王・諸藩を糾合できた戦略はいかに

⑤靖難の変の経緯、巷にまき起る朱棣逆賊説をどのように抑えたか

⑥さほど軍事的に優れているとはいえず、健康にも問題があった朱高熾(第4代

 洪煕帝)を次期皇帝にした理由(別のドラマ「尚食」では孫の朱噡基、優秀説が

 採られている。)

⑦経済的に逼迫していたにも拘らず7度も大船団を海外派遣したこと

 (永楽帝といえば鄭和ひきいる大航海といわれるほど有名)

⑧有能な官吏の切り捨て、父が戒めた宦官の重用、錦衣衛頼みの親政・独裁

⑨初期のころに築かれた国の基礎が、歴代王朝が通ってきた道とはいえあっとい

 う間に崩れて、行く末がボロボロになるのはどうしてか

 ま、統一王朝として維持するには国土が広すぎて、民族的にも多様過ぎるせい

 だとは思うけれど

などです。

皇帝たちの心情など分かりようがないので、そこはフィクションとしてもう少し描いてほしかったのですが、案外、削られたシーンでは描写されていたのかもしれません。Wikipediaでわかりにくい部分が整理されているのでは、という期待には応えてもらえなかった、というのが正直な感想です。

それにしても、永楽帝の美化のためか、朱允炆(建文帝)がことさら無能な悪役に描かれていたのはちょっと違う気がします。

そんなこんなで、史実を描くのか人物が主題か、どちらにしてもピンポイントでテーマを設定している小説のほうが面白く、理解しやすいのは当たり前といえるでしょう(馬伯庸『両京十五日』)。

でも、華流ドラマにありがちな、売れっ子イケメン俳優によりかかった表現が少ないこと(恋模様などのめんどくさい場面はほぼ無い)、戦闘シーンの迫力、時代考証がしっかりしているところが良かった点です。

 

 

札幌はアカシアも終わり、いま、公園ではスプルース系の香りに満ちています。

日本語なら松柏(針葉樹)。午前中のヨガを終えて、外に出たら深呼吸したくなるほど、中島公園にはドイツトウヒ(唐檜)やエゾ松などが茂っているおかげでしょう。

体もすっきり、肺もすっきりしたので、午後は韓国のサイコミステリを読み終わろうと思います。こんな分野に食指が動くとは!たぶんタイトルのせいです。